戦争を警告する記念碑と戦後の教会施設群建設
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「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の記事における「戦争を警告する記念碑と戦後の教会施設群建設」の解説
1957年3月にエゴン・アイアーマンが教会施設新築の設計コンペによって設計者に選ばれた。彼は旧教会堂の完全撤去を前提とした現代建築による新教会堂を設計した。この設計案は終わることのない熱い議論を呼び起こした。最終的には建築家側も、反対した市民側も意に沿わない妥協で終えることになった。71mの高さを持つ旧教会堂の廃墟を戦災記念碑として残したまま、アイアーマンによって設計された新教会堂、新鐘楼、小礼拝堂が建築アンサンブルを構成している。廃墟になった旧教会堂を中心にして西側に8角形の新教会堂身廊と長方形のホワイエが配置され、東側に6角形の新鐘楼(53,5m)と長方形の小礼拝堂が置かれている。1959年5月9日に新教会堂の礎石が据えられ、1961年12月17日にベルリン・ブランデンブルク福音主義教会監督のオットー・ディベリウスの司式で新教会堂完成献堂式がおこなわれた。カイザー・ヴィルヘルム記念教会新教会堂を含む建築アンサンブルはドイツの戦後を象徴する重要な記念碑、ベルリンの代表する建築物として見なされるようになった。その後、ベルリンの市民たちは8角形の新教会堂に化粧コンパクトケース、新鐘楼にリップスティックという愛称をつけた。 旧教会堂の廃墟を中心にして手前に小礼拝堂、左側に新鐘楼、 新教会堂, 1964年 オイローパ=センターから見たカイザー・ヴィルヘルム記念教会、1968年 8角形の新教会堂とホワイエ、2007年
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