戦う食品会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:34 UTC 版)
第二次世界大戦下においては収益が2000万ドル(1938年)から600万ドル(1939年)に減じ、ラテンアメリカを中心とする開発途上国に新工場が造られた。皮肉にも戦争の影響でネスカフェが米軍の主要な飲料となった。1947年、調味料やスープを扱うマギーと合併した。1950年、食品業のクロス・アンド・ブラックウェルとも合併した。 1963年、冷凍食品のフィンダス(Findus、現在は広域でJPモルガン・チェースなどがブランド保有)と合併。フィンダスは収益性の高い事業であったが、しかし旧三国同盟の支店はユニリーバとの共同事業にしてしまった。ジュネーヴのリビーズ(1971年)、クリーブランドのストーファーズ(1973年)とも合併して協業を進めていった。1974年にはロレアルの株式取得で多角化が始まり、1977年にはアルコン社(眼科用医薬品事業)の取得で食品産業とは別の業界への投機も始まった。他方、発展途上国における乳児用調製粉乳の販売手法が強引と問題視され、ネスレ・ボイコットを引き起こした。 ネスレ社の最終損益は伸び、1984年には新たな買収攻勢が始まり、1985年にはエバミルクを扱うアメリカの大企業カーネーション社(Carnation、フリスキーブランドでペットフード事業へ参入)を、1988年にはイギリスの製菓会社Rowntree Companyを初めての敵対的買収で取得した。また、イタリアの食品会社であるペルジーナを買収し傘下とした。
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