戦いの後と近代の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 09:56 UTC 版)
「ミムズ砦虐殺」の記事における「戦いの後と近代の歴史」の解説
ミムズ砦でのレッド・スティックスの勝利が、アメリカ合衆国南東部のフロンティア全体に恐慌を広げ、開拓者たちは政府の行動を要求し、逃亡した。戦闘後の数週間で、テンソーとトンビッグビー地区人口の約半分にあたる数千人がその開拓地を遁れてモービルに向かい、500人しかいなかったモービルは彼らを迎えるのに苦闘した。レッド・スティックスの勝利はインディアンによる最大級の成果であり、この虐殺は、クリーク族内の内戦から、アメリカ合衆国とアッパー・クリーク族のレッド・スティックス戦士の間の戦争に変わったことを意味した。 アメリカ合衆国軍は米英戦争の北部戦線で捉われていたので、テネシー州、ジョージア州およびミシシッピ準州がその民兵隊を動員し、レッド・スティックス側を支援していたアッパー・クリークの町に向かって移動した。幾つか戦闘が起こった後、アンドリュー・ジャクソン大佐がこれら各州の民兵隊と同盟チェロキー族を率い、その後のホースシュー・ベンドの戦いでレッド・スティックスを破り、クリーク戦争を終わらせた。 今日ミムズ砦の跡はアラバマ州歴史委員会が保存している。1972年9月14日にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。 ミムズ砦虐殺は、マーガレット・ミッチェルの大作『風と共に去りぬ』の中に引用されている。脇役のグランドマ・フォンテーンが主人公のスカーレットに対する教訓として、その全家族が暴動の中で殺される様子を見た記憶を話して聞かせる。フォンテーンは、彼女に起こる可能性のある最悪のことをある女性が経験すべきではないと説明し、その故に恐怖を2度と経験できないと語っている。
※この「戦いの後と近代の歴史」の解説は、「ミムズ砦虐殺」の解説の一部です。
「戦いの後と近代の歴史」を含む「ミムズ砦虐殺」の記事については、「ミムズ砦虐殺」の概要を参照ください。
- 戦いの後と近代の歴史のページへのリンク