戒厳令期(1949年-1991年)
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「中華民国立法委員選挙」の記事における「戒厳令期(1949年-1991年)」の解説
中華民国政府は、「淪陥区(中華人民共和国の実効支配領域のこと)では選挙が出来ない」ことを理由に大陸部選出議員の任期を無期限延長した。これらの立法委員は「万年議員」と呼ばれ、実際の中華民国の統治区域である台湾住民の民意が反映されないため、大きな問題となっていた。 1969年以降、表向きの理由として「台湾省」の人口増加を上げて一部改選が施行されるにいたった。1969年に行われたのは非改選議員の欠員補充選挙であり、増加定員総数は11名であった。また、国民大会代表も15人が欠員補充された。 1972年の蒋介石総統五選が決定した国民大会で「増加定員選挙」が採択された。その骨子は「自由地区(中華民国の実効支配地域)」と海外華僑の議席を大幅に増やし、前者を普通選挙により、後者を総統の指名により定期改選(任期3年)し、非改選議員・欠員補充議員は改選しない、というものであった。この第一回増加定員選挙でさらに51名の議席が増えた。同時に国民大会代表も53人が増加した(任期6年)。 1975年には1名がさらに増加した52名分の立法委員増加定員選挙が行われた。 1978年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙は米中国交樹立を受けて総統緊急処分令により選挙が中止された。 1980年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙が行われた。立法委員で議席は97名、国民大会代表で議席は76名に増加した。 1983年の立法委員増加定員選挙では、議席は98名になり、普通選挙枠で1名が増員された。 1986年の立法委員・国民大会代表増加定員選挙では立法委員100名・国民大会代表84名が改選された。 1989年の立法委員増加定員選挙では改選立法委員は130名となった。
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