忘却と復権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 06:34 UTC 版)
ザックスらマイスタージンガーが活躍した16世紀のドイツ・ルネサンスは、17-18世紀にニュルンベルクが衰退し、バロックから啓蒙期にかけてのドイツではギリシア・ローマの古典、イタリア文学、フランス演劇への憧れに目が向けられるにいたって忘れ去られた。 ザックス復興の引き金になったのは、没後200年にあたる1776年、ゲーテの詩『ハンス・ザックスの詩的生命』である。この詩は、ヴァイマルでクリストフ・マルティン・ヴィーラントが発行していた「ドイツのメルクール(Teutsche Merkur)」誌の特別記念号に寄せられたものだった。しかし、これでザックスの名が広く国民に知れ渡るにはほど遠く、ザックスの最初のまとまった著作集が刊行されたのは、さらに約100年後の1870年である。 ロマン主義とナショナリズムの高揚を背景に、ニュルンベルクが民族精神の揺籃の地として再び注目を集めるようになると、ヴィルヘルム・ヴァッケンローダーやジャン・パウル、E.T.A.ホフマンらがニュルンベルクを舞台とした文芸作品を著すようになった。ニュルンベルクを民族統合の象徴として押し上げようという動きが加速する中で、ノヴァーリス、アヒム・フォン・アルニム、ハインリヒ・フォン・クライスト、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフらの作家がザックスを魅力的に描いた。こうして、19世紀にはザックスを主人公とする劇作品が20篇ほど書かれ、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1868年初演)に至る。 ワーグナーに先行する作品として、ヨハン・ルートヴィヒ・ダインハルトシュタイン(de:Johann Ludwig Deinhardstein, ウィーン、ブルク劇場の副支配人)の劇詩『ハンス・ザックス』(1827年)がある。この作品は各国語に翻訳され、ドイツでは40以上の劇場で上演されるなど大きな反響を呼んだ。1840年には、ダインハルトシュタインの劇詩をフィリップ・レーガーが脚色、アルベルト・ロルツィング作曲によるオペラ『ハンス・ザックス』がライプツィヒで上演された。
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