徳武弘文
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徳武 弘文(とくたけ ひろふみ、1951年5月25日 - )は、北海道函館市出身のギタリスト。日本におけるカントリー・ギターの第一人者であり、“徳武”の読みを崩したDr.K(トクタケが覚えにくい苗字だから近いところで、ドクターケーになった[1])の愛称で知られる。2008年にはニューヨークにて、日本人としては唯一レス・ポールと共演を果たしている。
- ^ 海からのメッセージ -渡辺真知子公式ブログ- powered by ココログ_ AMラジオ~恋の予感~.html2021年12月16日閲覧。
- ^ アーティスト紹介TOWER RECORDS.2021年6月28日閲覧。
- ^ イメージソング楽譜 _ 会津若松市.html2021年12月16日閲覧。
- ^ 徳武弘文|イベント詳細|ビルボードライブ東京|Billboard Live(ビルボードライブ).html2021年12月16日閲覧。
- ^ 日本のフィンガー・ピッカー第一人者が細野晴臣、高橋幸宏を迎えたロックンロール・ナイトを開催 _ Daily News _ Billboard JAPAN.html2021年12月16日閲覧。
- ^ 仲井戸_CHABO_麗市と徳武弘文が初共演! Amrita Custom Guitarsイベントで (2015_10_22) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム).html2021年12月16日閲覧。
徳武弘文(ギター)
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大学時代にブレッド&バターのサポートをつとめ、以後はちみつぱいのメンバーと共に山本コウタローと少年探偵団を結成し、本格的な音楽活動を開始。後に吉川忠英&ホームメイドに参加しながら、スタジオ・ミュージシャンとして幾多のセッションを行なう。1974年に泉谷しげるのバックバンド "ザ・ラスト・ショウ" を結成。その後ニュー・ミュージック系アーティストを始め、五輪真弓、吉田拓郎、長渕剛、杉田二郎、大瀧詠一、南こうせつ、高橋幸宏、山本耀司などのレコーディング、ライブに参加する。1998年、最も啓蒙を受けたナッシュビルのプログレッシブ・カントリー・ロック・バンド、ベアフット・ジェリーの再結成コンサートでのリード・ギタリストとして参加。ソロ活動ではDr.K(ドクターK)として9枚のアルバム、またDr.K Projectとして10枚のアルバムをリリースするなど精力的に活動を続けている。サムピックを使用したフィンガー・ピッキングにアメリカン・フィーリングを活かした独自のギター・スタイルを確立した彼のプレイは、カントリー・ミュージック、ルーツ・ミュージックの色が濃い。
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