徳武弘文とは? わかりやすく解説

徳武弘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 06:26 UTC 版)

徳武 弘文
別名 Dr.K
生誕 (1951-05-25) 1951年5月25日
出身地 日本 北海道函館市
死没 (2025-05-14) 2025年5月14日(73歳没)
日本 東京都目黒区
ジャンル カントリー・ミュージック

徳武 弘文(とくたけ ひろふみ、1951年5月25日 - 2025年5月14日)は、北海道函館市出身のギタリスト。日本におけるカントリー・ギターの第一人者であり、“徳武”の読みを崩したDr.K(トクタケが覚えにくい苗字だから近いところで、ドクターケーになった[1])の愛称で知られる。2008年にはニューヨークにてレス・ポールと共演を果たした。

来歴

大学在学中に「ブレッド&バター」のコンサートのサポート・メンバーとして活動。

その後、山本コウタローらと共に“山本コータローと少年探偵団”を結成。

セッション・ギタリストとして活動しながら、1974年泉谷しげるのバック・バンド“ザ・ラスト・ショウ”を結成。ザ・ベンチャーズジェリー・マギーに多大な影響を受けたサムピックを使用したフィンガー・ピッキングとルーツ・フィーリングを活かしたギター・スタイルが注目を集め、吉田拓郎大瀧詠一高橋幸宏長渕剛などのサポートを務めた。

1989年、1stアルバム『Dr.Kの調律』でソロ・デビュー。自身のバンドDr.K Projectを率いて精力的に活動を続けている[2]

2007年、会津若松市イメージソング「AIZUその名の情熱」(作詞:石原信一、作曲:南こうせつ)に編曲で参加[3]

2014年11月15日、細野晴臣、高橋幸宏をスペシャルゲストに迎え、「Rock'N'Roll Night:Respect Les Paul & Mary Ford」開催[4][5]

2015年11月2日、Amrita Custom Guitars(アムリタ・カスタム・ギターズ)による音楽イベントに参加、仲井戸麗市と初共演した[6]

2018年、多系統萎縮症と診断される[7]

2020年、胃がんと診断され、3分の2を摘出する[8]

2025年5月14日、東京都目黒区の病院で死去[9]。73歳没[10]

ディスコグラフィ

※ザ・ラストショウは、ラストショウ#作品を参照。

アルバム

発売日 規格 規格品番 アルバム
徳間ジャパン(Absord Music Japan)
1989年11月25日 CD 30JC-477 Dr.Kの調律
2004年2月25日 CD ABCS-60
1991年11月25日 CD TKCA-30399 ハッピーデイズ
2004年2月25日 CD ABCS-61
Absord Music Japan
2000年3月24日 CD ABCS-19 Keys To The Country
ポニーキャニオン
2000年6月21日 CD MYCV-30049 Dr.K Project 2~Daddies Be Ambitious~
2003年6月18日 CD MYCV-30197 T for Thumb
VIVID SOUND
2011年10月19日 CD VSCD-3387 SOMEWHERE OVER THE RAINBOW
2012年12月14日 CD VSCD-3396 LET'S SWAMP TOUR / LIVE IN JAPAN

サウンドトラック

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム
1993年8月30日 Consipio Records CD COCD-9203 あひるのうたがきこえてくるよ。サウンド・トラック

映像作品

発売日 規格 規格品番 アルバム
リットーミュージック
2006年12月20日 DVD VWD-132 DVD版 萌え萌えエレキ天国
2007年8月20日 DVD VWD-198 究極のカントリー・フレーズ大全
2007年12月20日 DVD VWD-207 究極のロカビリー・ギター大全 ~今すぐ使える実践ギター・テク

参加作品

著書

  • ぼくらは今もエレキにしびれている(2007年9月18日、かんき出版)

脚注

  1. ^ 海からのメッセージ -渡辺真知子公式ブログ- powered by ココログ_ AMラジオ~恋の予感~.html2021年12月16日閲覧。
  2. ^ アーティスト紹介TOWER RECORDS.2021年6月28日閲覧。
  3. ^ イメージソング楽譜 _ 会津若松市.html2021年12月16日閲覧。
  4. ^ 徳武弘文|イベント詳細|ビルボードライブ東京|Billboard Live(ビルボードライブ).html2021年12月16日閲覧。
  5. ^ 日本のフィンガー・ピッカー第一人者が細野晴臣、高橋幸宏を迎えたロックンロール・ナイトを開催 _ Daily News _ Billboard JAPAN.html2021年12月16日閲覧。
  6. ^ 仲井戸_CHABO_麗市と徳武弘文が初共演! Amrita Custom Guitarsイベントで (2015_10_22) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム).html2021年12月16日閲覧。
  7. ^ 【訃報】ギタリスト・徳武弘文さん 死去 73歳  ” 7年前に難病である多系統萎縮症と診断 ” 長男がTBSの取材に明かす”. 2025年5月20日閲覧。
  8. ^ 【訃報】ギタリスト・徳武弘文さん 死去 73歳  ” 7年前に難病である多系統萎縮症と診断 ” 長男がTBSの取材に明かす”. 2025年5月20日閲覧。
  9. ^ ギタリストの徳武弘文さん死去 73歳、泉谷しげるさんのバックバンドで活動”. 産経新聞:産経ニュース (2025年5月20日). 2025年5月20日閲覧。
  10. ^ ギタリスト徳武弘文さん死去 73歳 カントリー・ギター名手「Dr.K」 有名アーティストと共演 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex (2025年5月19日). 2025年5月19日閲覧。

外部リンク


徳武弘文(ギター)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:05 UTC 版)

ラストショウ」の記事における「徳武弘文(ギター)」の解説

大学時代ブレッド&バターサポートをつとめ、以後はちみつぱいメンバーと共に山本コウタロー少年探偵団結成し本格的な音楽活動開始。後に吉川忠英&ホームメイド参加しながら、スタジオ・ミュージシャンとして幾多セッション行なう1974年泉谷しげるバックバンド "ザ・ラスト・ショウ" を結成その後ニュー・ミュージックアーティスト始め五輪真弓吉田拓郎長渕剛杉田二郎大瀧詠一南こうせつ高橋幸宏山本耀司などのレコーディングライブ参加する1998年、最も啓蒙受けたナッシュビルのプログレッシブ・カントリー・ロック・バンド、ベアフット・ジェリーの再結成コンサートでのリード・ギタリストとして参加ソロ活動ではDr.KドクターK)として9アルバム、またDr.K Projectとして10アルバムリリースするなど精力的に活動続けている。サムピック使用したフィンガー・ピッキングアメリカン・フィーリング活かした独自のギター・スタイル確立した彼のプレイは、カントリー・ミュージックルーツ・ミュージックの色が濃い。

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