徳島時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:26 UTC 版)
「牟岐若潮クラブ」で軟式野球を始め、牟岐町立牟岐中学校では軟式野球部でエースを務めた。 スポーツ科学科のある徳島県立鳴門渦潮高等学校に進学し、寮生活を送る。3年生のとき春季四国大会の決勝まで進むが、のちに徳島でチームメイトとなる岸潤一郎がエースを務めていた明徳義塾高等学校に僅差で敗退した。夏には主将を務めたものの、河野竜生擁する徳島県立鳴門高等学校に敗れ、県大会準優勝。 地元からプロ野球を目指したいという理由で、高校卒業後に四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに入団した。初年度の2015年は木製バットに馴染むのに時間がかかり、森友哉(埼玉西武ライオンズ)を参考に打撃フォームを修正、最終的には規定打席未達ながら打率3割を記録するとともに、シーズン後にはみやざきフェニックスリーグのリーグ選抜メンバー(最年少)ともなる。2016年にはリーグが実施した、北米独立リーグとの交流戦遠征の選抜チームメンバーに選ばれる。この遠征では打率.328を記録する好成績を収めた。しかし、2017年は当初新入団選手にポジションを奪われる体験も味わい、シーズン終了後に家庭の事情もあって退団し、就職して電気工事士となった。 一度は引退し、就職先で軟式野球をプレーしていたが、野球への思いが募ってNPB入りを目指すことを決意し、2018年8月に徳島に再入団する。 2019年シーズンは再度の北米遠征メンバーとなるとともに、43盗塁を記録して最多盗塁のタイトルを獲得した。 同年10月17日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成1順目で指名を受ける。11月19日、支度金240万円、年俸200万円(いずれも推定)で育成選手として入団契約に合意した。背番号は002。
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