役者と劇団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/29 04:07 UTC 版)
「スペイン黄金世紀演劇」の記事における「役者と劇団」の解説
1603年以降のスペインでは、認可のある劇団しか活動できなくなり、認可が出る場合は限られていた。失業した役者は巡業劇団に入り、田舎で上演した。劇団は1年に2ヶ月以上1箇所で上演を行うことはできず、ある場所で上演でいる劇団は1つだけと定められていた。1615年にマドリードは役者兼マネージャー、役者、徒弟からなる政府の規定にのっとった劇団を支配下に置き、雇用するようになった。こうした劇団は王立評議会によって認可され、宮廷と公衆劇場の両方で聖体劇を上演して高給を得た。役者は通常、マネージャーのもとで1~2年契約で働いた。1587年から女性が舞台に立つ認可を受けられるようになったが、1599年に劇団員と結婚している女性だけが舞台に立てると規定する勅令が出るまで、このならわしは批判も受けた。ロペ・デ・ルエダや、その後に出てきたフアン・ラナなどが重要な役者である。台本は劇団による買い取りであり、一度売り渡すとその後、劇作家は作品に関する決定権を保持することはできなかった。
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