公衆劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/29 04:07 UTC 版)
「スペイン黄金世紀演劇」の記事における「公衆劇場」の解説
商業的な上演を行う公衆劇場は1570年代頃からスペインの主要都市に建設されるようになった。1579年、マドリード初の常設劇場としてコラール・デ・ラ・クルスが建てられた。プリンシペ劇場は1583年にこけら落としした。1584年中頃には、マドリードには他にも劇場があった。しかしながら他の劇場が衰退したため、17世紀のマドリードではクルス劇場とプリンシペ劇場のふたつが主な常設劇場となった。 コラール・デ・コメディアス(複数形コラーレス・デ・コメディアス)は四方に壁がある中庭での上演を起源とする劇場で、三方を建物に囲まれた四角い中庭に設置された。舞台は常設の背景をつけて建てられ、上の階には立ち見客用の中庭向けテラスが置かれた。アロヘリーアと呼ばれる売店があり、その上にもっと観客を入れられるギャラリー席があった。カスエラと呼ばれる女性用の席と、アポセントと呼ばれるボックス席があった。観客はしばしばうるさい音をたてて動いたり、手に負えなくなるようなふるまいをしたりした。 コラールはもともと慈善団体からの認可を受けており、病院の資金を集めたり、貧民を支援したりするために上演を行っていた。 観覧料金については平土間の立ち見席がいちばん安く、マドリードの場合20マラベディから24マラベディくらいだった。一番高い席は38マラベディくらいだった。平土間は主に庶民が陣取っていたが、桟敷席には非常に身分の高い人々がいることもあった。
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