形式的告示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)
「マルティン・ハイデッガー」の記事における「形式的告示」の解説
『存在と時間』以前の初期フライブルク期の講義が刊行されるに及んで、「形式的告示(die formale Anzeige)」の概念性について注目されている。ハイデッガーは初期フライブルクの講義で 「現象学的解明にとって主導的となる或る意味の方法的な使用を我々は形式的な告示と呼ぶ。形式的に告示する意味がその中にはらんでいるところのもの,それへと向かって諸現象は見られるのである。方法的考察から理解できるものとならなければならないのは、なぜ形式的な告示はそれが考察を主導するにもかかわらず、やはり何らの予め把握された見解を問題の中へと持ち込まないのかということである。」、また「この形式的に告示的な問いの遂行においては、「自我」もしくは「自己」に関しての何らかの仕方で理論的に形成され何らかの哲学的立場から受け継がれた理論的に概念的な先入見や規定は活動してはならない。」と述べている。また1929/30年の「形而上学の根本諸概念:世界-有限性-孤独」講義では「あらゆる哲学的な概念は、形式的に告示するものであり、哲学的な概念がそのように受けとめられるときにのみ概念把握の真正な可能性を与える」と述べている。 ハイデッガーはガダマーら学生に形式的告示の意味とは「十分に味わうことと実行に移すことだ」と説明した。
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