強制移送と強制同化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:14 UTC 版)
シャバク人は、近年、強制移送と強制同化の双方を経験してきた。シャバク人の地理的分布は、1988年のアンファル作戦による大量強制移送や、1991年の難民危機によって、劇的に変化した。多数のシャバク人が、ザンガネ人やハウラミ人 (Hawrami) ともども、イラク領内のクルディスタン地域のハリール(英語版)周辺に設けられた、アラビア語で「ムジャマート」と称される収容所に移された。この時期には、1,160人のシャバク人が殺害されたと推定されている。 さらに、シャバク人たちに自分たちのアイデンティティを抑圧し、アラブ人ないしクルド人というアイデンティティだけを意識するよう強いる動きが強化されていった。イラク政府は、強制同化(英語版)、アラブ化(英語版)、宗教弾圧を通して、シャバク人たちを脅かす圧力を強めていった。あるシャバク人は、調査者に対して「政府は、私たちのことをアラブ人だ、クルド人ではないというが、もし私たちがアラブ人なら、なぜ彼らは私たちを故郷から移送したのか」と語っている。2016年の時点で、イラク議会におけるシャバク人の代表者のひとりサリム・アル=シャバキ (Salim al-Shabaki) は、「シャバク人はクルド同胞の一部である」と述べ、シャバク人が民族的にはクルド人であるという主張を強調している。2006年8月21日、シャバク民主党 (Shabak Democratic Party) の指導者、フナイン・カド (Hunain Qaddo) は、イラク領内の少数派をクルド化(英語版)やアラブ化から保護するために、ニーナワー平野の領域に新たな州を設けることを提案した。同年12月20日、シャバク人代表10名は全員が一致して、モースルのシャバク人居住地区をクルド地方政府(英語版)の管轄に編入することに反対投票をした。多くのシャバクジンの村の議員たちは、クルド当局によって、クルドへの編入を求める請願に署名することを強要されたと述べた。2011年6月30日、ニーナワーの州議会は、政府職員に6,000区画の土地を配給した。シャバク顧問委員会 (the Shabak Advisory Board) の委員長サレム・フドル・アル=シャバキ (Salem Khudr al-Shabaki) によれば、これらの区画の大部分は恣意的にアラブ人に割り当てられたという。シャバク人の政治家フナイン・アル=カド (Hunain al-Qaddo) は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、ペシュメルガはシャバク人コミュニティの保護を本気で考えてはおらず、クルド人保安部隊は、シャバク人を保護することよりも、彼らとその指導者たちを支配することに関心を寄せていると語っている。
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