建築要素についての議論と混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/31 15:06 UTC 版)
「ロストラ」の記事における「建築要素についての議論と混乱」の解説
この構造物の建築要素については、過去100年間以上の間に様々な考え方や理論が提示されてきた。ローマ帝国期以前のロストラのイメージについては文献や証拠が非常に少ない。 発掘によって、コミティウムが何層にも重なっていることとロストラが少なくとも3つの演壇に分かれていたことがわかり、さらに混乱を生じさせた。火災や侵略などの災害で破壊と再建を繰り返した地域であるため、その形状は再建以前と異なるものになった恐れがある。フォルムへの最初の移転以降のロストラ・ウェテラの度重なる再建で記念として新たな名称が与えられたことも混乱に拍車をかけている。 Robert Morstein-Marx は著書 "Mass Oratory and Political Power in the Late Roman Republic" の中で、スッラによるコミティウムの再編成はなかったという説を提唱している。彼の主張は単にそのような証拠はないというものである。Marxは考古学者 Einar Gjerstad の描いた図に基づくもので、その中では円形のコミティウムの中でロストラ・ウェテラはその一角にすぎないものとしている。しかし、Cosaなどの他の共和政時代のローマ都市の考古学的証拠では、円形のアンフィテアトルムがその都市の議事堂に隣接しており、その階段上に規模の小さい演壇 (rostra) があった。これは直接的な証拠ではないが、ローマのコミティウムに残っている半円形の構造の遺構が同様の機能を持つ構造だったことを示唆している。 ローマ帝国時代の多数の記念碑的建築物にある大きなロストラについての描写がいくつかある。それらはアウグストゥスのロストラと関連付けて考えられたため、初期の研究者は共和政時代の演壇も同じ構造だと結論付けた。しかし、最近ではそれらの描写は Rostra Diocletioni についてのものだと認識されている。その大きさは同等で、どちらもフォルム・ロマヌムに建設された。 フォルムで見つかった遺構は文献の記述などからロストラ・アウグスティと識別されているが、その中核には元々のロストラ・ウェテラが隠されていると信じられている。尊敬と名誉をこめてカエサルの時代にそのように名付けられた。それをカエサルが移動したためカエサルのロストラと呼ばれるようになった。さらにそれをアウグストゥスが拡張したため、ロストラ・アウグスティとなった。その後もロストラは修復と拡張を施され、同じ建築物に複数の名称が付けられるようになった。
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