廃止決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 18:44 UTC 版)
「名古屋市電東山公園線」の記事における「廃止決定」の解説
1963年(昭和38年)4月1日、地下鉄東山線池下 - 東山公園間が開通した。この開通の日が近づくと、棚上げされていた休止中の市電の存廃問題をめぐる議論が再燃する。交通局としては、将来的に交通量増加が予想される幹線道路上の路線であることと地下鉄との二重投資を避ける目的で当初から市電廃止の方針を採っていたが、廃止論が未だ低調である世論を鑑みて問題を先送りした形であった。議論の中で交通局は市電復旧に1億円の費用がかかるとして廃止を主張する。一方、廃止反対の意見は市電停留場に比べ地下鉄駅が少ないため沿線住民の利便性が低下する、市電運賃15円に対して地下鉄運賃は20円(延伸後は25円を予定)であり運賃負担が増加する、というものであった。議論の末、地下鉄運賃の据え置きを条件に、1962年12月21日に廃止が市会で承認された。 地下鉄池下 - 東山公園間の延伸と同日付で市電東山公園線覚王山 - 東山公園間が正式に廃止された。当該区間に続き、昭和30年代より星ヶ丘地区一帯で急速に進行した住宅建設ならびに高校・大学の転入に対応するため、地下鉄の星ヶ丘延伸工事が進められる。市電東山公園 - 星ヶ丘間については営業休止期間が延長され、電車代行バスに代わって運賃10円の特1区バスが運行された。 1967年(昭和42年)3月30日、地下鉄東山公園 - 星ヶ丘間が延伸開業した。2日後の4月1日付にて休止中のまま残る市電東山公園 - 星ヶ丘間が正式に廃止され、東山公園線は全廃された。結局同区間の営業期間は、休止期間よりも短い2年2か月であった。 東山公園線の存廃議論が契機となり、1965年以後、交通局は市電の廃止を推進していくことになる。
※この「廃止決定」の解説は、「名古屋市電東山公園線」の解説の一部です。
「廃止決定」を含む「名古屋市電東山公園線」の記事については、「名古屋市電東山公園線」の概要を参照ください。
- 廃止決定のページへのリンク