府制施行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 10:53 UTC 版)
「東京奠都」も参照 1868年(慶応4年)、江戸は東征軍の軍政下に置かれた。同年4月2日に江戸開府事務が始まる。軍は同年5月12日に江戸府を、5月19日に「江戸鎮台」を設置するとともに北町奉行所、南町奉行所を廃し町奉行管轄地を管掌する市政裁判所を旧南町奉行所に設けた。 そして同年7月17日の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」により、江戸府は東京府に、江戸鎮台は「鎮将府」に改称された。改称当時の読みは「とうきょう」ではなく「とうけい」で、字画は「東亰」であった。 8月17日に、大和郡山藩上屋敷を接収して東京府庁が開庁し、同年9月2日に、東京府職制が公布され、市政裁判所から府へ事務が移された。なお、9月8日に元号が明治に改元されている。 1869年(明治2年)3月16日に、朱引内町地の人口1万人を1区として区分けしたうえ区を「番組」と名づけ、既市街地約90km2に50番組を置いた。 3月10日に、名主227名全員罷免。代替として翌日に「中年寄」および「添年寄」を、同年5月8日に、朱引外の群政方支配所村町であった荒廃地および農村部190町89村を地方5番組に統括し各区に中年寄および「大年寄」を置き、同年6月22日「町年寄」を新設し、東京府の準官吏として任命。名主業務を新設の各「町用取扱所」に移管させた。 同年に、府民550人を函館、根室および宗谷へ移植し、翌1870年(明治3年)6月12日に、失業対策として北海道花咲郡(後の色丹郡を除く)、根室郡、野付郡を領有(北海道の分領支配)したが、これは10月9日に解消した。
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