幼少期・上京
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1864年2月6日(文久3年12月29日)、豊後国大分郡稙田村字粟野(現・大分県大分市大字稙田)にて利光市松、シン子夫妻のもとに生まれる。実家は農家であった。 1875年(明治8年)、稙田村市ノ道場寺にて初等教育を受け始める。同寺で福沢諭吉の『世界国尽』、『西洋事情』にふれる。1878年(明治11年)に卒業。 13歳の時、父の市松が亡くなり、母の手に育てられた。 実家の農業を継ぐとともに、中国古代の史書の勉強会への参加や『国史略』、『日本外史』、『十八史略』などを独学で勉強した。 1881年(明治14年)1月、粟野を去り日出(現・大分県速見郡日出町)の涵江書塾に入門し、頭成学校の助教員になる。その後、豊前恒遠塾、但馬青谿書院、備後宇都宮龍山塾で勉学に励む。 上京。家が貧しかったため、叔父の品吉に学資を補助してもらった。叔父から「学費など心配するな。俺が働いてお前は必ず学校を卒業させてやる。」といわれたという。1886年(明治19年)、明治法律学校(現・明治大学)に進学、翌1887年(明治20年)4月に代言人試験を受け合格をする。
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