幼少期から婚約まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:28 UTC 版)
「ウィルバート・オードリー」の記事における「幼少期から婚約まで」の解説
1911年6月15日、イングランド・ハンプシャー州、 ロムジーのアンプフィールド司祭館(Ampfield vicarage)にて国教区牧師の父ウィルバート・ベア・オードリーと妻ルーシー・オードリーのもとに生を受ける。当時司祭館の庭にはベアと兄キャロル・オードリーが製作した鉄道模型のレイアウトが置かれており、ウィルバートが鉄道愛好家となるきっかけの一つとなる。その後1914年に第一次世界大戦が勃発し兄キャロルが派兵されるが同年8月に戦死。2年後にウィルバートの弟となるジョージ・オードリーが産まれるが、翌年1917年にキャロルを失った悲しみから立ち直る為に家族揃ってウィルトシャー州ボックスに移り住む。新居の近くにあったグレート・ウェスタン鉄道(パディントン・ブリストル間)のボックストンネルを蒸気機関車が走り、ウィルバートは聞こえてくる蒸気やエンジンの音から機関車が意志を持っているように感じ、その事が後の「汽車のえほん」の誕生へと繋がる。 文学を学ぶためオックスフォード大学へ進み学士号や修士号を取得するが、父ベアの影響で聖職に就くことに決め、神学も学ぶ。1932年に大学を卒業し、翌年から3年間イスラエルで教職に付き、その時期にウィルバートと同じく教師としてイスラエルに赴任していたマーガレット・エミリー・ウェイルと出会う。 1936年に帰国して牧師となり、1938年に帰国したマーガレットと結婚、1男2女を儲ける(長男クリストファー、長女ヴェロニカ、次女ヒラリー)。
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