平野ユーレイの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 10:09 UTC 版)
ホラープランナーと名乗った最初の人物。啓示を受けて脱サラしたといわれている。その影響で夢はお化け屋敷だらけのテーマパーク「オバケランド」を作ること。その後、店長になる、二号店を出す、本を出版する、ラジオに出る、テレビに出る、CDを出す、映画に出る、お笑いに出る、司会をする、海外進出をするなどの小さな夢(目標)を次々と有言実行する。その姿は、同人漫画幽霊ゾンビシリーズに描かれ、お化け屋敷のつくり方(アールズ出版)を出版するに至った。お化け屋敷で使うライトに電気的な細工を施した(本人は呪術をかけたと言っている)幽霊感知ライトゴースト・アイの発明者。2007年に日本全国のお化け屋敷をすべて巡ろうとして30箇所で挫折。日本には小さなものも含めて100箇所以上のお化け屋敷があると知り、時期を定め特徴のあるものだけを巡る方針に転換し、2012年、2013年には全国お化け屋敷めぐりを成功させ、私設ラジオで情報を公開している。2013年には日立 世界・ふしぎ発見!にホラープランナーとしてミステリーハンターのオーディションに参加。応募総数7714人の中から最終選考の9人に選ばれるも合格の3名には残れなかった。2013年には、単身メキシコへ渡航。チャプルティペック公園のお化け屋敷LA CASONA DEL TERRORや、SIX FLAGSのハロウィンイベントであるFESTIVAL DEL TERRORの7つのお化け屋敷を全て体験した。本人は、会議室タイプであり、基本的に齊藤ゾンビが現場タイプであるため、99プラスに出演した際には矢部浩之から、「幽霊は何もしないんですね!」と言われ、法円坂ホラー研究会に出演した際には小沢一敬から、「幽霊は一体何しに来たんですか!」と突っ込みを受けている。 平野幽霊のヒラジオ(外部リンク)
※この「平野ユーレイの経歴」の解説は、「幽霊ゾンビ」の解説の一部です。
「平野ユーレイの経歴」を含む「幽霊ゾンビ」の記事については、「幽霊ゾンビ」の概要を参照ください。
- 平野ユーレイの経歴のページへのリンク