干支による紀日とは? わかりやすく解説

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干支による紀日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 00:25 UTC 版)

干支」の記事における「干支による紀日」の解説

干支によって日付記述する干支日法は、すでに殷代甲骨文現れている。 西洋では1月4分割して「週」(7日)というサイクル編み出した(ただし7という数字天体から)が、古代中国では1月3分割して「旬」(10日)というサイクル考案し十干という順序符号をつけた。甲骨文には「卜旬(ぼくじゅん)」があり、これは、ある特定の日(癸の日)から向こう10日間の吉凶占ったのである10日、すなわち十干3回繰り返す1か月30日)になるので、十干と十二支組み合わせると、2か月60日)周期日付記録することになる。 ある日甲子とすると、第2日乙丑第3日が丙寅というように進んで60日の癸亥へと進み、第61日に至ると再び甲子に還って日を記述していった。これは、3,000年以上経った今に至るまで、断絶することなく用いられている。また、干支紀日は『日本書紀』など東アジアの歴史書にも広く使用されている。 殷代においては干支もっぱら日法として用いられ、年に関しては1から始まる順序数自然数)を使用しており、月に関して順序数基本としていた。 現在のような順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、山東省臨沂県(りんぎけん)から出土した銀雀山漢墓竹簡、および武帝7年元光元年紀元前134年)の暦譜竹簡の例が最古とされている。 中国でも日本でもはしばし改定されているが、干支による紀日は古代から連綿と続いており、古い記録日付確定する際の有力な手がかりになる。 さらに、旧暦の月は29日また30日規律があまりなく、閏(うるう、月と月の間にさらに一ヶ月入れる)もあるため、干支使えば閏があるかないかがわかる。 一例として、史料に「○月甲寅朔(1日甲寅の日)」のように記録したら、「乙丑、…(なにかのできごと)」はその月の12日であることは自明。そして「七月甲子」と「八月甲子」の間に60日もあるから七月八月の間に「閏七月」があることがわかる。

※この「干支による紀日」の解説は、「干支」の解説の一部です。
「干支による紀日」を含む「干支」の記事については、「干支」の概要を参照ください。

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