干支の町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 21:12 UTC 版)
1889年の町村制実施時、北方村は単独で自治体として発足した。自治体内で地域を区分する際、周辺の自治体は数か村の合併で発足したため、従前の村を大字に置き換えることで事足りるが、北方村には上記の理由により大字が存在しない。そこで北方村では干支(十二支)を地域区分として採用することとなった。干支を採用した背景には当時の戸長の先祖が延岡藩の天文測量方であったことも関係している。当時の戸長役場のあった地区を「子」とし、おおむね時計回りで「亥」まで命名している。 1980年代に町おこしについて話し合われる中で、地域区分として干支を用いる例は他地域にも存在するが十二支すべてが揃っている例がほかに見られないことが注目された。1987年から「日本唯一、干支の町」と掲げ、町内の施設に「うさぎ橋」「ひつじ橋」などを命名した。 国道218号には「干支大橋」「ひつじトンネル」が存在する。 延岡市への編入後は地区名が大字に昇格した。住所表記は「延岡市北方町川水流卯682番地」のようになる。
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