帝国諸侯となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:22 UTC 版)
長子系統(兄系ロイス家)のロイス=オーバーグライツ家のハインリヒ11世は、1768年に継嗣の絶えたロイス=ウンターグライツ家の所領を併せて兄系ロイス家を統合し、兄系ロイス伯となった。ハインリヒ11世は1778年に帝国諸侯(ライヒスフュルスト)の地位を得、その領邦は兄系ロイス侯国となる。 末子系統(弟系ロイス家)では、ロイス=ローベンシュタイン(ドイツ語版)家(1790年)、ロイス=エーベルスドルフ(ドイツ語版)家(1806年)、ロイス=シュライツ(ドイツ語版)家(1806年)が帝国諸侯の地位を得た。 ロイス家の4つの侯国は、1807年4月にそろってライン同盟に加盟した。1815年のウィーン会議では、ゲオルク・ヴァルター・ヴィンツェント・フォン・ヴィーゼ(Georg Walter Vincent von Wiese)がロイス家の代理人として送り込まれ、ロイス家領の陪臣化を防いだ。 1824年にロイス=ローベンシュタイン侯国が断絶、その領土はロイス=エーベルスドルフ侯国と統合された。1848年、革命が波及する中でロイス=ローベンシュタイン=エーベルスドルフ侯ハインリヒ72世は退位し、後継者である(ハインリヒ72世に男子はなかった)ロイス=シュライツ侯ハインリヒ62世に統治権を譲ったため、ロイス=シュライツ家が弟系ロイス家を統合することとなり、ここに弟系ロイス侯国を創設した。 兄系ロイス侯国はしばしばプロイセンに反抗的な姿勢を見せたが、両侯国とも1866年には北ドイツ連邦に加盟し、1871年にはドイツ帝国の構成国となった。
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