市民劇としての『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
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本作の筋立ては、ワーグナー独自の考案によるが、18世紀から19世紀初頭にかけての啓蒙時代に生まれた「市民劇」の流れを汲んでいる。市民劇は、フランスで生まれ、ドイツで定着したジャンルで、ゴットホルト・エフライム・レッシング『エミリア・ガロッティ』(1772年)やフリードリヒ・フォン・シラー『たくらみと恋』(1784年)などの市民悲劇やボーマルシェ『フィガロの結婚』(1784年)やハインリヒ・フォン・クライスト『こわれ甕』(1806年)などの市民喜劇がある。 E.T.A.ホフマンの『樽屋の親方マルティンと徒弟たち』(1817/18年)では、裕福な手工業者の親方が、美人で評判の一人娘に婿を迎えるという物語で、本作とドラマの骨格が共通している。 直接ワーグナーに先行する作品として、ヨハン・ルートヴィヒ・ダインハルトシュタイン(de:Johann Ludwig Deinhardstein, ウィーン、ブルク劇場の副支配人)の劇詩『ハンス・ザックス』(1827年)がある。この作品は各国語に翻訳され、ドイツでは40以上の劇場で上演されるなど大きな反響を呼んだ。1840年には、ダインハルトシュタインの劇詩をフィリップ・レーガーが脚色、アルベルト・ロルツィング作曲によるオペラ『ハンス・ザックス』がライプツィヒで上演された。 ワーグナーは1828年にダインハルトシュタイン劇の上演に接しており、ストーリーのモチーフを一部本作に取り入れている。ロルツィングのオペラは1842年にドレスデンで聴いていた。
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