市内初の東宝映画の直営館
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「岸和田東宝映画劇場」の記事における「市内初の東宝映画の直営館」の解説
1939年(昭和14年)2月、東宝映画(現在の東宝)の直営館として大阪府岸和田市本町219番地1号(現在の同府同市本町2番地3号)に開館した。同地は、当時のメインストリートである紀州街道に面した繁華街にあり、欄干橋通りの南のクランクに位置した。開館当時の同館の支配人は道井九州男、観客定員数は322名であった。道井九州男は、のちに戦後の東宝争議において、伊藤武郎を中央委員長とする日映演東宝支部関西分会出身の中央役員として争議を闘った人物である。同年の東宝映画は、2月21日公開の『沼津兵学校』(監督今井正)、5月20日公開の『上海陸戦隊』(監督熊谷久虎)、9月30日公開の『東京ブルース』(監督斎藤寅次郎)、10月10日公開の『ロッパ歌の都へ行く』(監督小国英雄)、同月21日公開の『花つみ日記』(監督石田民三)、11月30日公開の『白蘭の歌 前篇・後篇』(監督渡辺邦男)、12月13日公開の『空想部落』(監督千葉泰樹、製作南旺映画)等を製作・配給している。当時の同市内の映画館は、同館のほか、北町の第二電気館(のちの岸和田電気館、経営・泉谷虎吉)や山村劇場(のちの岸和田東映劇場、経営・山村儀三郎)、魚屋町の朝日座(経営・仲森為一)、堺町の岸和田館(経営・山口藤次郎および吉田常三郎)、春木町の春陽館(経営・小南捨三郎)、下野町の吉野倶楽部(経営・叶善次郎)の合計7館が存在した。同館以外は、いずれも地元の興行師の経営によるものであった。 1942年(昭和17年)には第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年発行の『映画年鑑 昭和十七年版』には、同館の興行系統については記載されていない。したがって同館で上映される映画はかならずしも東宝映画の製作物ではなかったが、当時の同館の経営は引き続き東宝映画が行っており、支配人は道井九州男、観客定員数は322名であった。
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