巫女・旅人の人身御供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:43 UTC 版)
古事記のヤマタノオロチ「八岐のをろち」に対して、上代日本文学者の次田真幸(1909-1983)は、「をろち」の「を」は「峰(を)」「ち」は霊異を表す語句だと指摘し、頭と尾がいくつもある蛇体の水神であり、大小の支流を合わせて流れる肥河(ひのかわ 現斐伊川)の霊だとする。奇稲田姫(クシナダヒメ)は、古事記では櫛名田比売と表記される。この名は、霊妙な稲田の女神の意味で、『櫛』の文字は、比売が櫛を挿した巫女であることを暗示しているという松村武雄は、八岐大蛇退治神話における奇稲田姫を含めた八人の犠牲者は、司霊者-すなわち “巫女の人身御供”であったとみている。 しかしその他の人身御供伝説については、毎年一人という条件があるだけで、生贄となる者の合計などは定まっていないと指摘している。 中山太郎は著書「日本巫女史」の中で、巫女や旅人が人身御供となったと考えられる事例をあげている。中村は、巫女が人身御供になる理由として、「それが神を和める聖職に居った為であることは言うまでもない」と述べている。また、旅人を人身御供とした神事も各地にあったが、中山は例として、尾張國府宮の直會祭を挙げている。 此の理由は祭日に人身御供となることを土地の者が知るようになり、これを免かれんがために、外出せぬようになったので、かく旅人を捕へることになったのであるが、…(中略)…旅行者も最初の者か第三番目の者か、女子か男子か、その神社のしきたりで、種々なるものが存していた なお尾張國府の件は、旅人も捕まることを警戒して寄り付かなくなってしまうため、尾張藩が藩命を出して止めさせたとある。 折口信夫の論じた「まれびと信仰」では、外界から来た客人を神もしくは神の使者として扱うとしており、旅人を生贄とすることは、神に近い存在の巫女を生贄にすることと共通点があると考察される。
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