州間の戦争 (War Between the States)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/20 07:32 UTC 版)
「南北戦争のネーミング」の記事における「州間の戦争 (War Between the States)」の解説
州間の戦争(War Between the States)という言葉は戦中には滅多に使われなかったが、戦後の南部で使われるようになった。 1862年、アメリカ合衆国最高裁判所は「合衆国といわゆる連合国との間の現在の内戦」、あるいは「北部州と南部州の間で現在進行中のような内戦」という表現を使った。 アメリカ連合国政府は「内戦」という言葉を避け、公式文書では「アメリカ連合国とアメリカ合衆国との間の戦争」と記した。戦争中に「州間の戦争」と呼んだ幾つかの文献が存在する。 ヨーロッパの外交官は「内戦」という言葉をさけるために類似した形態を生んだ。ヴィクトリア女王のイギリス中立宣言では「アメリカ合衆国政府と、自らをアメリカ連合国と称する特定州(複数)の間の敵対関係」と言及した。 戦後、元連合国の役人や古参兵(ジョセフ・ジョンストン、ラファエル・セムズおよび特にアレクサンダー・スティーヴンズ)の回想録は通常、「州間の戦争」を使った。1898年、南軍古参兵の会が公式にこの名称を採用した。 20世紀初期、南軍娘達の連合会は、メディアや公立学校で「州間の戦争」を使うよう運動した。 南軍娘達の連合会は1913年からアメリカ合衆国議会にこの言葉を採用するよう働きかけたが成功しなかった。議会はこの戦争に公式名称を当てたことは一度も無い。 「州間の戦争」という名称はアーリントン国立墓地のアメリカ海兵隊記念碑に刻まれている。この名称は第20代アメリカ海兵隊総司令官レミュエル・C・シェパード・ジュニアが個人的に命じたものである。 フランクリン・ルーズベルトはこの内戦を「州間の4年戦争」と呼んだ。ルーズベルトの見解では、これは「我が国の統一をかって脅かした」唯一の危機だった。この文脈は「1941年1月6日の年頭教書」の冒頭部で使われた。 「州間の戦争」という表現は時として連邦裁判所や州裁判所の文献に現れる。 「内戦」という名称と「州間の戦争」という名称は幾つかの公式文書で組み合わせて使われてきた。例えば、1960年代に戦争から100周年を祝うとき、ジョージア州は「州間の戦争を記念するジョージア内戦100周年委員会」を創設した。 1994年、アメリカ合衆国郵便公社は「内戦/州間の戦争」と題した記念切手のシリーズを発行した。
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