州の権限と少数派の権利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:00 UTC 版)
「南北戦争の原因」の記事における「州の権限と少数派の権利」の解説
州の権限理論は、北部の人口が南部よりも急速に成長しているという事実があり、そのことは北部が連邦政府を支配するのは時間の問題となった時の反応であった。南部の者達は「自覚のある少数派」として行動し、憲法の厳密な解釈によって連邦政府の州にたいする権力を制限し、連邦政府が州の権限に干渉してくることに対して防衛すること、あるいは無効化、あるいは脱退が南部を救うと期待した。1860年以前、大半の大統領は南部か南部寄りであった。北部の人口成長は北部寄りの大統領選出を意味し、自由土地州を増やすことは上院でも北部と南部の対等関係を終わらせることであった。歴史家のアラン・ネビンスが述べているように、南部の政治家カルフーンの州の権限に関する理論は「政府は少数派を守るように作られ、多数派については自分達で面倒が見られる」というものだった。 ジェファーソン・デイヴィスは「中傷的な差別」と「抑えの効かない多数派の専制」に対して「自由」を守る戦いが連合国に加わった州の脱退する権利を与えたと言った。1860年サウスカロライナ州選出の下院議員ローレンス・M・カイトは「反奴隷制の党派が奴隷制そのものが悪いと主張し、政府は強固になった国の民主主義と主張している。我々南部の者は奴隷制が正しいと主張し、これが主権のある諸州の連合共和国だと主張する。」と言った。 南部の選ばれた指導者ジェファーソン・デイビスは州の平等な権限という言葉で平等を定義した。また、全ての者は平等に生まれているという宣言に反対した。憲法は、各州が同じ数の上院議員を持つということ、またある権利は州または人民に担保されると言うことに州の権限の要素を含めているのではない。デイビスのような南部の者はこれらの権利を北部の多数派に対する楯として解釈した。
※この「州の権限と少数派の権利」の解説は、「南北戦争の原因」の解説の一部です。
「州の権限と少数派の権利」を含む「南北戦争の原因」の記事については、「南北戦争の原因」の概要を参照ください。
- 州の権限と少数派の権利のページへのリンク