川崎営業所をめぐる複雑な経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:10 UTC 版)
「京浜急行バス」の記事における「川崎営業所をめぐる複雑な経緯」の解説
この際に川崎営業所については、もともとの所管路線であった川崎住宅地線が戦時中に休止されていた上、東急から免許を継承した京浜急行電鉄も自社での再開を見送った。 「東急バス#大東急解体と東都乗合・関東乗合の東急グループ離脱」も参照 京浜急行電鉄発足直後の1948年(昭和23年)12月、折からの財閥解体もあって浅野財閥系だった川崎鶴見臨港バスの株式を京急も取得して経営に参加し、1954年に臨港バスは京急の子会社になったが、京急は現在の川崎区内にあたる東海道線以南のバス路線について、都内直通などの一部を除いて臨港バスに任せる意向であったとされる。 「川崎鶴見臨港バス#沿革」も参照 これにより川崎住宅線の沿線は臨港バスの営業範囲となり、1949年(昭和24年)9月上旬臨港バスが川崎住宅線の代替となる「京町循環線」を開通させて、以降同線は川崎市民の重要な足となった。一方の京急は1952年(昭和27年)に他の休止線とともに川崎住宅線を正式に廃止した。 詳細は「川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所#川24系統(鋼管循環線)・川28系統(京町循環線)」を参照 なお、川崎営業所の名称を継承した東京急行電鉄川崎営業所は、1992年(平成4年)の子会社化で東急バスに分社した後、2010年(平成22年)10月に閉鎖され、路線は高津営業所と東山田営業所へ移管されて現在に至る。 詳細は「東急バス#廃止営業所」および「東急バス川崎営業所#沿革」を参照
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