崔龍述の願い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 19:56 UTC 版)
38度線を抱える韓国は世界情勢のあおりを直截的に受ける立場にあり、軍人出身の大統領、度重なるクーデター、市民の生活を拘束する夜間外出禁止令や徴兵制などを背景に、民族主義的国民性が形成されていった。テコンドーがオリンピック競技になるなど、武道、格闘技のブームがおこり、またそのルーツは日韓併合時代以前の李氏朝鮮にもともと備わっていたものだと考えるようになった。 ハプキドーは各派、各団体ごとにさらに分裂、統合を繰り返し、かつてチェが学んだ大東流からさらに離れていった。同時にハプキドーを元に韓氣道、國術院、花郎道といった新興武道が誕生した。それらの武道はチェを開祖と仰ぎ、新羅、高句麗にその淵源とする武術があったと吹聴した。 1982年チェは老体を押して渡米する。分裂して勢力争いを続けるハプキドー各派の統一を訴えるためである。チェが頼ったのはニューヨークのチャン・チンイルで、チェは自分の後継者と目していたがそれは果たせなかった。 1986年崔龍述死去。遺体は最初に道場を開いた大邱に埋葬される。 跡を継いで二代目道主になったのは息子のチェ・ボクヨルであったが、そのボクヨルも翌年1987年死去する。その時点で第三代道主は指名されていなかったが、2000年、弟子の金潤相(キム・ユンサン)が三代目を継承する。ユンサンはあらためてハプキユースル(合気柔術 Hapki yusul)を名乗り、活動を続けている。 (この節は英語版Choi Yongsulほかに拠りました。)
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