岩屋城の戦いとは? わかりやすく解説

岩屋城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:11 UTC 版)

高橋紹運」の記事における「岩屋城の戦い」の解説

天正14年1586年)、島津氏大友氏を滅ぼすべく岩屋城宝満山城のある太宰府まで北上。紹運は防御の薄い岩屋城にておよそ763と共に迎撃島津軍降伏勧告拒絶し徹底抗戦した(岩屋城の戦い)。半月に及ぶ戦いの末、敵兵多数道連れにし玉砕岩屋城陥落した享年39激戦様子について、 『筑前続風土記』には「終日終夜鉄砲の音やむ時なく、士卒のおめき叫ぶ声、大地もひびくばかりなり。城中にはここを死場所と定めたれば、攻め口一足引退らず、命を限り防ぎ戦ふ。殊に鉄砲の上多かりければ、寄せ手遁れ、竹把を付け者共打ちさる事おびただし」 『北肥戦記』には「合戦数度に及びしかども、当城究竟要害といい、城主無双大将といい、城中僅かの小勢にて五万寄せ手対し、更に優劣なかりけり」 『西藩野史』には「紹運雄略絶倫、兵をあげて撃ち出し薩軍破ること数回殺傷甚だ多し」 などと記されている。 紹運は度々の降伏勧告拒絶し玉砕したというのが通説だが、当時島津記録である『上井覚兼日記天正14年7月26日条において、紹運が笠の陣まで出向き退城しないことを条件講和持ちかけたとの記録存在する

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