山水の変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
張彦遠の『歴代名画記』に「山水の変は呉に始まり二李に成る」とある。これは、「唐時代の山水画の変革は呉道玄に始まり、李思訓・李昭道父子によって完成された」ということで、李父子によって着色山水画の技法が完成したことを意味する。 李思訓(651頃 - 718年)は唐の宗室の出身。右武衛大将軍という地位にあり、「李大将軍」と呼ばれた。伝承作品に『江帆楼閣図』などがある。李昭道(生没年不明)は李思訓の子で、伝承作品に『春山行旅図』などがある。 明末に山水画を「南宗画」「北宗画」に分けて論じた董其昌は、李父子を北宗画の祖、後述の王維を南宗画の祖と規定している。李父子の山水画は、精緻に描き込まれた青緑山水であったことが文献から知られる。ただし、前述の李父子の伝承作品『江帆楼閣図』、『春山行旅図』はいずれも後代の模本ないし擬古作で、唐代の李父子の作風をどの程度伝えているかは不明である。唐時代の着色山水画の画風については、日本の正倉院に伝来する『騎象奏楽図』(楽器の琵琶に描かれたもの)の背景からわずかに窺える。京都国立博物館蔵(東寺旧蔵)の『山水屏風』は、日本の平安時代の作品であるが、李思訓らの青緑山水画の画風を伝えるものとされている。 王維(699 - 759年または701 - 761年)は唐を代表する詩人の1人で、画家でもあった。字は摩詰(まきつ)。官位が尚書右丞であったため、王右丞とも呼ばれる。字の摩詰は仏教の『維摩経』に登場する維摩居士(維摩詰)に由来する。「詩中に画あり、画中に詩あり」とは、北宋の文人・蘇軾が王維について述べたものである。董其昌の南北二宗論において、王維は南宗画、すなわち文人画系の水墨山水画の祖と位置づけられている。ただし、画家としての王維の真蹟は現存せず、董其昌がどのような作品に基づいて王維を上述のように位置づけたかは判然としない。王維の伝承作品としては『輞川図』(もうせんず)、『雪渓図』がある。『輞川図』は王維が母親の菩提寺の壁面に描いたもので、原本の壁画は現存しない。『輞川図』の模本は多数流布しているが、古原宏伸によれば、これらの模本は11世紀頃の様式を伝えるもので、原本との間には断絶があるという。
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