山東省聊城地区
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1952年11月15日 - 平原省の分割により、平原省聊城専区が山東省聊城専区となる。(17県1鎮)平原省濮陽専区濮県・范県・朝城県・観城県を編入。 1953年7月2日 - 観城県・朝城県が合併し、観朝県が発足。(16県1鎮) 1954年8月7日 - 臨清鎮が市制施行し、臨清市となる。(1市16県) 1956年2月24日 - 徳州専区徳州市・夏津県・武城県・徳県・平原県・禹城県・恩県・斉河県を編入。(2市23県) 1956年3月6日 (2市17県)濮県が范県に編入。 博平県が茌平県に編入。 恵民専区徳平県の一部が徳県に編入。 恩県が平原県・武城県・夏津県に分割編入。 観朝県が范県・莘県・寿張県に分割編入。 堂邑県が聊城県・冠県に分割編入。 清平県が高唐県・臨清県に分割編入。 范県の一部が寿張県に編入。 1956年5月 - 泰安専区長清県の一部が斉河県に編入。(2市17県) 1958年4月18日 (2市17県)臨清県の一部が館陶県に編入。 斉河県の一部が泰安専区歴城県に編入。 1958年11月 (2市24県)泰安専区東平県・平陰県・肥城県、恵民専区商河県・臨邑県・楽陵県・済陽県を編入。 平原県の一部が徳州市に編入。 1958年12月20日 (3市12県)聊城県が市制施行し、聊城市となる。 莘県が冠県・范県に分割編入。 館陶県が冠県に編入。 臨清県が臨清市に編入。 陽穀県が寿張県に編入。 東阿県が寿張県・茌平県に分割編入。 禹城県が高唐県・斉河県に分割編入。 徳県が徳州市・平原県に分割編入。 楽陵県が商河県に編入。 済陽県が臨邑県に編入。 平陰県が東平県に編入。 武城県が夏津県に編入。 1960年1月4日 - 商河県が楽陵県に改称。(3市12県) 1960年3月28日 (3市11県)東平県の一部が分立し、済南市平陰県となる。 東平県の残部が済寧専区汶上県に編入。 済南市長清県の一部が肥城県に編入。 1960年4月2日 (3市8県)肥城県が済南市に編入。 楽陵県・臨邑県が淄博専区に編入。 1961年9月28日 - 徳州市・斉河県・平原県・夏津県が徳州専区に編入。(2市5県) 1961年10月5日 (2市9県)高唐県の一部が分立し、徳州専区禹城県となる。 范県・冠県の各一部が合併し、莘県が発足。 冠県の一部が分立し、館陶県が発足。 寿張県の一部が分立し、陽穀県が発足。 茌平県・寿張県の各一部が合併し、東阿県が発足。 1963年3月16日 (11県)聊城市が県制施行し、聊城県となる。 臨清市が県制施行し、臨清県となる。 1964年2月29日 (10県)范県の一部が莘県に編入。 范県が河南省安陽専区に編入。 寿張県の一部が河南省安陽専区范県に編入。 1964年6月16日 (10県)莘県の一部(前任屯村・後任屯村)が河南省安陽専区南楽県に編入。 河南省安陽専区南楽県の一部(楊寨村・東節村・寨節村)が莘県に編入。 1964年10月31日 - 寿張県が陽穀県、河南省安陽専区范県に分割編入。(9県) 1965年3月12日 (8県)館陶県の一部が臨清県・冠県に分割編入。 館陶県が河北省邯鄲専区に編入。 臨清県の一部が分立し、河北省邢台専区臨西県となる。 1967年2月 - 聊城専区が聊城地区に改称。(8県) 1983年8月30日 (2市6県)聊城県が市制施行し、聊城市となる。 臨清県が市制施行し、臨清市となる。 1997年8月29日 - 聊城地区が地級市の聊城市に昇格。
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