少年との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:43 UTC 版)
そうした報道を家族とテレビで見ていて複雑な気持ちになり、野原との対話を試みたメキシコ人がいた。日本にゆかりのある13歳の少年であった。少年は、社会学の教授である父が日本へ赴任した際に家族とともに同行しており、2004年まで日本に滞在していたという。少年らが野原に会うために空港を訪れると、アメリカの通信社ブルームバーグが取材を始めた。ある程度の日本語を習得していた少年は通訳を買って出る。野原はオープンチケットを所持しており、滞在許可も翌年の3月(入国日より180日間)まで残っていた。正規の滞在者として権利の一環であると空港側は認めていたため、それまでの野原への説得の試みは、いずれも意味をなさなかった。少年はそれから、すでにいた支援者と同じように空港へ毎日通った。少年の話によれば、野原は観光初日に宿泊施設に一泊したあと、節約のために空港での寝泊まりを始めたとのことである。これまでに、なんとなく空港の外へ出ていったことは何度かあったという。野原は、いわゆるブロークン・イングリッシュを使い、スペイン語の単語を多少は覚えていた。身長は高く頭髪を小豆色に染めたり、カラフルなテニスシューズを履いていた。
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