小野田少尉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:01 UTC 版)
この島の近年の歴史で、最も興味深いエピソードは、第二次世界大戦(大東亜戦争)の最後の日本軍投降兵、大日本帝国陸軍少尉の情報将校、小野田寛郎の一件である。 彼は、ミンドロ島にアメリカ軍が上陸し、ルソン島上陸も近い1944年(昭和19年)12月、「残置諜者」及び「遊撃指揮」の任を与えられ部下たちとともに、ルバング島に着任してゲリラ活動を行ったが、フィリピンが連合軍に制圧された後もジャングルに隠れ、日本の降伏を信じることを拒んで、部下たちとゲリラ戦を継続、その過程で島民や部下たちも死亡した。 1972年(昭和47年)に、彼の部下が地元警察に射殺されたことをきっかけに、彼の存在が知られるようになり、日本の青年鈴木紀夫の説得もあり、1974年(昭和49年)3月、元上官の任務解除命令を受け、フィリピン軍に降伏した。日本の降伏後29年が経過していた。 小野田少尉の潜んでいた洞窟や密林などは、現地の観光コースとなっており、観光ガイドも養成して、当時の様子を保存している。
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