小屋 (流山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/17 13:51 UTC 版)
小屋 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯35度53分21.17秒 東経139度54分4.01秒 / 北緯35.8892139度 東経139.9011139度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
人口 (2017年(平成29年)11月1日現在)[1] | |
- 計 | 163人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 270-0118[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 野田 |
小屋(こや)は千葉県流山市にある地名。郵便番号は270-0118[2]。
地理
流山市の北部に位置する、緑の色濃い地域である。最も面積が広い江戸川沿いの地域をはじめ、2ヶ所の飛び地がある。
東・北は中野久木、西は三郷市吉屋、南は北と接している。 また、飛び地は上新宿や北、南とも接している。
沿革
- 1879年(明治2年) 葛飾県葛飾郡小屋村となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡小屋村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡小屋村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡大畔村、南村、下花輪村、北村、桐ケ谷村、谷村、上貝塚村、上新宿村、上新宿新田、平方村、平方村新田、平方原新田、中野久木村、深井新田、東深井村、西深井村と合併し、東葛飾郡新川村大字小屋となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 流山町、八木村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字小屋となる。
- 1952年(昭和27年)1月1日 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字小屋となる。
- 1967年(昭和42年)1月1日 市制施行により、流山市大字小屋となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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小屋 | 65世帯 | 163人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 流山市立新川小学校 | 流山市立北部中学校 |
施設
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脚注
- ^ a b “町丁字別・男女別人口(世帯数含む) 【各月1日】”. 流山市 (2017年11月2日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立小学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立中学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
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「小屋 (流山市)」の例文・使い方・用例・文例
- あらしが木から鳥小屋を吹き飛ばした
- 丸太小屋
- 私たちが小屋を出るときにはもう霧は晴れていた
- 鳥小屋,鶏舎
- 粗末な小屋
- 小屋はすぐそばにあった
- 鶏小屋
- 裏庭用に小屋を手っ取り早く組み立てた
- その丸太小屋は森にすっぽりと埋もれている
- 猫が1匹また1匹と小屋から出てきた
- 猫たちがその小屋から次々に出てきた
- 豚小屋
- 私たちは平和で落ち着いた暮らしを求めて田舎の小屋を借りることにした
- 牛小屋
- 頑丈に造られた小屋
- その小屋はその山の一番頂上にある
- 裏庭に豪華な小屋を建てた。
- この鶏小屋は誰が設計したの?
- その山男は小屋から出てきた。
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