谷 (流山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/28 02:57 UTC 版)
谷 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯35度52分39.12秒 東経139度54分15.79秒 / 北緯35.8775333度 東経139.9043861度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
人口 (2017年(平成29年)11月1日現在)[1] | |
- 計 | 40人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 270-0173[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 野田 |
谷(たに)は千葉県流山市の地名。郵便番号は270-0173。郵便番号は270-0173[2]。
地理
流山市の中部に位置する。流山街道沿いに所在するほか、江戸川に程近い場所に飛び地がある。
飛び地などにより入り組んでいるが、概ね東は上貝塚、西・北は南、南は下花輪と接している。
歴史
沿革
- 1869年(明治2年) 葛飾県葛飾郡谷村となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡谷村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡谷村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡大畔村、小屋村、桐ケ谷村、北村、南村、下花輪村、上貝塚村、上新宿村、上新宿新田、平方村、平方村新田、平方原新田、中野久木村、深井新田、東深井村、西深井村と合併し、東葛飾郡新川村大字谷となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 流山町、八木村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字谷となる。
- 1952年(昭和27年)1月1日 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字谷となる。
- 1967年(昭和42年)1月1日 市制施行により、流山市大字谷となる。
世帯数と人口
2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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谷 | 19世帯 | 40人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 流山市立西初石小学校 | 流山市立西初石中学校 |
施設
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関連項目
脚注
- ^ a b “町丁字別・男女別人口(世帯数含む) 【各月1日】”. 流山市 (2017年11月2日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立小学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立中学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
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「谷 (流山市)」の例文・使い方・用例・文例
- 谷は赤や黄色の葉で色づいていた
- 私たちの叫び声のこだまが谷中に響き渡った
- 霧が谷を覆った
- その車はまっさかさまに谷底へ落ちて行った
- 1羽のワシが谷の上を舞っていた
- その深い谷には様々な種類のたくさんの木が生えていた
- 彼らの農地はその谷で最もよく肥えている
- 一面の赤い花でその谷は覆われていた
- 人里離れた谷
- それは急斜面の深くて狭い谷だ
- この渓谷の景色はすばらしい
- 谷を渡る涼しい風にもう秋を感じます
- 四ツ谷に止まりますよね?
- 日比谷線に乗って、4つ目の駅で降ります。
- 渋谷の明治通りですよ。
- 牛飼いは牛たちを谷へ追い立てた。
- 山の南側に巨大な圏谷がある。
- 小渓谷の中を小川が流れていた。
- 冬にこの峡谷を通り抜けようとする人はそう多くない。
- 泥流は谷を流れ落ちた。
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