将校の野戦服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:00 UTC 版)
「制服 (ナチス親衛隊)」の記事における「将校の野戦服」の解説
陸軍と同様に武装SSでも兵士・下士官は支給物、将校は独自にオーダーメイドした物を着用した。そのため将校は被服手当を受けていた(SS将校の受けていた被服手当は陸軍将校より多額であった)。 SS将校たちははじめ特務部隊のM35野戦服やM37野戦服と同型の野戦服を仕立てることが多かったが、やがて陸軍将校と同型の野戦服を仕立てるのが一般的になっていった。そのため襟がダークグリーンになっていたり、腰ポケットが斜めの切り込みポケットではなく水平の貼り付けポケットになっていたりする物が多かったが、中には武装SSの制服規定に合わせて襟をフィールドグレーにしたり、腰ポケットを斜めの切り込み型に裁断した物もあった。 ただし消耗を避けるため、戦闘中には将校も支給品の野戦服を着用する者が多かったとされる。 陸軍将校の物と同型に仕立てたSS将校野戦服。徽章はイギリス人60名から成るSS義勇部隊「イギリス自由軍団」の物 左の武装SS将校役は襟の部分がダークグリーンの陸軍将校型。右の武装SS将校役は襟の部分がフィールドグレー(2008年ワルシャワ蜂起再現イベント) 陸軍型のSS将校制服(SS将校役を務めるポーランドの俳優ツェザリ・ザック(ポーランド語版))。 陸軍将校型野戦服(1942年、ハンス・フライヘア(男爵)・フォン・ハデルンSS少佐) マウトハウゼン強制収容所所長フランツ・ツィライスSS中佐(中央)。襟が濃いところは陸軍型だが、下ポケットが斜めの切り込みポケットなところは武装SS型の作り エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキー大将(左)。前ボタンが8つで切り込み型腰ポケットのヴァイマル共和政時代の国軍(Reichswehr, ライヒスヴェーア)型の裁断
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