対戦車砲としての速射砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:24 UTC 版)
旧日本陸軍では、対戦車砲のことを速射砲と呼んでいた。理由は、対戦車能力の秘匿のためとも、攻勢主義の陸軍が「対戦車」という防御的な用語を嫌ったためとも言われている。「速射砲」は通称であり、兵器の正式名称としては用いられていない。昭和11年編制の歩兵連隊には歩兵砲隊があり、連隊砲4門を持つ歩兵砲中隊と、速射砲4門を持つ速射砲中隊の構成であった。太平洋戦争開戦時の主力は口径37mmの九四式三十七粍砲であり、戦争末期の主力は口径47mmの一式機動四十七粍砲である。九四式三十七粍砲は初速の割に装甲貫徹能力が低く、ノモンハン戦ではソ連軍戦車に苦戦したと過去に言われていたが、旧ソ連側の記録では十分な威力を発揮したことが記録されている。しかし、のちの対米戦で島嶼部での戦闘に投入された際には、すでに対戦車砲としては全く無力であった。太平洋戦争末期に投入された一式機動四十七粍砲は、M4シャーマン戦車の側面装甲であれば貫通する戦闘力を持っており、硫黄島や沖縄での戦闘で活躍した。
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