密度汎関数理論とは? わかりやすく解説

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密度汎関数理論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 01:18 UTC 版)

密度汎関数理論: density functional theory、略称: DFT)は、原子分子、あるいは物質全体の電子の状態を計算し、その性質を調べるための量子力学に基づく強力な手法である。

この理論を用いると、複雑な多体電子系の性質を、電子の空間的な分布(電子密度)という、比較的シンプルな情報から計算できる。

DFTの基本的な考え方

この理論の核となるのは、「電子系のすべての物理量は、その電子密度の汎関数として表現できる」というホーヘンベルク・コーンの定理である。

ここで言う「汎関数」とは、関数(この場合は電子密度)を入力として受け取り、一つの数値(例えばエネルギー)を出力する、「関数の関数」のことである。これにより、膨大な数の電子がそれぞれどのように振る舞うかを個別に追う代わりに、電子が全体として空間にどう分布しているか(電子密度)に注目することで、計算を大幅に簡略化できる。

広範な応用と歴史的背景

DFTは、凝集系物理学(固体や液体など)、計算物理学、そして計算化学といった分野で、最も広く利用され、非常に汎用性の高い計算手法の一つである。

特に1970年代以降、DFTは固体物理学の分野で急速に普及した。その大きな理由として、多くの固体における計算結果が実験と非常によく一致したことに加え、従来の多体波動関数を用いる手法(例えばハートリー・フォック法など)に比べて、計算コストが格段に低いという利点があった。

一方、1990年代までは、DFTは量子化学における分子計算には十分な精度がないと考えられていた。しかし、その後に交換・相関相互作用を記述する近似手法が飛躍的に改善されたことで、現在では化学と固体物理学の両分野を牽引する重要な手法となっている。

課題と今後の研究

DFTは目覚ましい進歩を遂げたが、依然としていくつかの課題も抱えている。例えば、分子間の相互作用(特にファンデルワールス力)、電荷移動励起、遷移状態半導体バンドギャップの正確な計算、そして強い電子相関を持つ系の記述などは、現在のDFTが苦手とする領域である。

特に、分子間の弱い引力である分散力(ファンデルワールス力の一種)の取り扱いが不完全であるため、分散力が支配的な系(例えば、貴ガス原子間の相互作用)や、他の力と分散力が競合する系(例えば生体分子)の計算精度に影響を与えることがある。これらの課題を克服するために、より優れた汎関数を開発したり、既存の汎関数に補正項を取り入れたりする研究が、現在も活発に進められている。

概説

密度汎関数理論はその概念の根源をトーマス–フェルミ模型に持つものの、DFTは2つのホーエンベルクコーンの定理(H–K)によって強固な理論的基盤の上に置かれた[1]。最初のH–K定理は、磁場がない場合の非縮退基底状態についてのみ成り立っていたが、以後これらを包含するために一般化されてきた[2][3]

H–Kの第1定理は、多電子系の基底状態の性質が3つの空間座標だけに依存する電子密度によって一意に決定されることを論証する。これは、電子密度の汎関数に使用することによって、3つの空間座標について3N個の空間座標を持つN個の電子の多体問題を軽減するための土台を築く。この定理は、時間依存密度汎関数法(TDDFT)を開発するための時間依存定義域へ拡張することができる。TDDFTは励起状態を記述するために使うことができる。

H–Kの第2定理は、系についてのエネルギー汎関数を定義し、正しい基底状態電子密度がこのエネルギー汎関数を最小化することを示す。

コーン–シャムDFT(KS DFT)の枠組みの中では、静的外部ポテンシャル中で相互作用のある電子の扱いにくい多体問題が、有効ポテンシャル中を移動する相互作用のない電子の扱いやすい問題に軽減される。有効ポテンシャルは外部ポテンシャルと電子間のクーロン相互作用(例えば、交換相互作用相関相互作用)の効果を含む。後者の2つの相互作用のモデル化がKS DFT内での難しさとなる。最も単純な近似は局所密度近似(LDA)であり、これは一様な電子ガスについての厳密な交換エネルギーに基づいている。このエネルギーはトーマス–フェルミ模型や、一様な電子ガスについての相関エネルギーへの当て嵌めから得ることができる。相互作用のない系は解くのが比較的簡単であり、波動関数はオービタルスレイター行列式として表わすことができ。そのうえ、こういった系の運動エネルギー汎関数は厳密に分かる。全エネルギー汎関数の交換-相関部分は依然として不明であり、近似しなければならない。

KS DFTよりも知られていないが、ほぼ間違いなく最初のH-K定理の精神により密接に関係している別の手法が、オービタルフリー密度汎関数理論(OFDFT)である。OFDFTでは、近似汎関数が相互作用のない系の運動エネルギーについても使われる。

ホーヘンベルク・コーンの定理

電子密度を用いた物理量の計算が原理的に可能であることは1964年にヴァルター・コーンピエール・ホーエンバーグによって示された。

ある外部ポテンシャルのもとにあるN個の電子系を考える(例えば分子の原子核の配置が決まれば、それらの原子核が電子に及ぼす静電ポテンシャルは決まる)。いま、この系の基底状態の電子密度ρだけがわかっているとする。ホーヘンベルク・コーンの第1定理によれば、ある系の基底状態の電子密度ρが決まると、それを基底状態にもつ外部ポテンシャルがもし存在すれば(v-表示可能性の仮定)それはただ1通りに定まる。また電子数Nも電子密度を全空間に渡って積分することで求めることができる。その外部ポテンシャルと電子数から導かれるハミルトニアンHシュレーディンガー方程式を解けば、その外部ポテンシャルのもとで許される電子系の波動関数Ψがわかるので、あらゆる物理量をそこから求めることができる。つまり、基底状態の電子密度から、系の(励起状態に関わる量も含めて)あらゆる物理量は原理的には計算できることになる。物理量を電子密度から計算する方法を密度汎関数法というが、この定理はそれを正当化するものである。3次元空間内のN電子系の波動関数は各電子について3個、合計3N個の座標変数に依存する関数となる。一方、電子密度は電子が何個になろうとも3個の座標変数に依存するだけであり、取り扱い易さに雲泥の差がある。

また、ホーヘンベルク・コーンの第2定理によれば、外部ポテンシャルをパラメータにもつ電子密度の汎関数

密度汎関数理論に基づいて計算されたC60 の基底状態電子密度の等値面

実際にはコーン・シャム理論は調べる系に応じていくつかの異なった方法で用いられている。固体の計算では局所密度近似は平面波基底などを用いた手法で未だに使われている。これは電子気体からのアプローチが無限の大きさの固体に広がる非局在電子には適切であるためだと考えられる。しかし分子の計算ではより複雑な手法が必要となり、数多の交換-相関エネルギー汎関数が考えだされてきた。そのうちのいくつかは一様電子気体近似と相反するが、電子密度が一様となる極限ではLDAに帰着しなくてはならない。物理学者のあいだで、おそらくもっとも用いられている汎関数は修正の加えられたPerdew-Burke-Ernzerhofの汎関数であろう。これは自由電子気体のエネルギーを一般化勾配を用いてパラメータ化したもので、自由に決められるパラメーターを持たない。しかし、この方法は気体相の分子では熱量的に正確さを欠く。化学の分野でよく用いられるのはBLYP(Beckeの交換エネルギー表式とLee、Yang、Parrらの相関エネルギー表式を用いていることに由来する)である。B3LYPはさらによく使われるハイブリッド汎関数とよばれる種類の汎関数である。ハイブリッド汎関数では交換エネルギーの汎関数(B3LYPの場合はBeckeの交換汎関数を用いる)はハートリー・フォック理論の交換項と組み合わせられるが、B3LYPの場合3つのパラメーターによって交換相関汎関数が混合される。調整できるパラメーターは一般的にはいくつかの「練習用」の分子にフィッティングすることで決められる。このような汎関数を用いて得られた結果は大抵の場合十分に正確であるのだが、精度を改良するような系統的な手法は存在しない(このことは波動関数を用いた配置間相互作用連結クラスター法といった伝統的な手法とは好対照である)。したがって、現在の密度汎関数理論のアプローチでは他の手法や実験の結果と比べないと計算の誤差を見積もることができない。

磁場の効果を取り入れるための一般化

これまで述べてきた理論はベクトルポテンシャル(すなわち磁場)が存在する場合にはそのまま用いることができず、状況に応じていくらかの破綻を生じることになる。そのような場合には基底状態の電子密度と波動関数の対応は失われる。磁場の効果を取り入れるための一般化の方法として電流密度汎関数理論 (CDFT) と磁場密度汎関数理論 (BDFT) の2つがあげられる。どちらの理論も交換-相関エネルギー汎関数を一般化して電荷密度以外の効果も取り入れる必要がある。VignaleとRasoltによって確立された電流密度汎関数理論では、汎関数は電荷密度と常磁性電流密度の両方に依存し、Salsbury, Grayce, Harrisらによって確立された磁場密度汎関数理論 (BDFT) では汎関数は電荷密度と磁場に依存し、磁場の形状に依存することもありえる。どちらの理論においてもLDAに相当する近似を超えるような手法が容易に実装できないという問題を抱えている。

脚注

  1. ^ Hohenberg, Pierre; Walter Kohn (1964). “Inhomogeneous electron gas”. Phys. Rev. 136 (3B): B864–B871. Bibcode1964PhRv..136..864H. doi:10.1103/PhysRev.136.B864. 
  2. ^ Levy, Mel (1979). “Universal variational functionals of electron densities, first-order density matrices, and natural spin-orbitals and solution of the v-representability problem”. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 76 (12): 6062–6065. Bibcode1979PNAS...76.6062L. doi:10.1073/pnas.76.12.6062. 
  3. ^ Vignale, G.; Mark Rasolt (1987). “Density-functional theory in strong magnetic fields”. Phys. Rev. Lett. 59 (20): 2360–2363. Bibcode1987PhRvL..59.2360V. doi:10.1103/PhysRevLett.59.2360. PMID 10035523. 
  4. ^ a b c 高橋 英明「連載: QM/MM 法と溶液の理論の融合による凝縮系の化学過程の自由エネルギー計算 (18) —凝縮系の第一原理計算の方法論について—」『アンサンブル』第16巻第1号、2014年、51–54頁、doi:10.11436/mssj.16.51 
  5. ^ Burke, Kieron; Wagner, Lucas O. (2013). “DFT in a nutshell”. International Journal of Quantum Chemistry 113 (2): 96. doi:10.1002/qua.24259. 
  6. ^ Perdew, John P.; Ruzsinszky, Adrienn; Tao, Jianmin; Staroverov, Viktor N.; Scuseria, Gustavo; Csonka, Gábor I. (2005). “Prescriptions for the design and selection of density functional approximations: More constraint satisfaction with fewer fits”. Journal of Chemical Physics 123 (6): 062201. Bibcode2005JChPh.123f2201P. doi:10.1063/1.1904565. PMID 16122287. 
  7. ^ Chachiyo, Teepanis (2016). “Communication: Simple and accurate uniform electron gas correlation energy for the full range of densities”. Journal of Chemical Physics 145 (2): 021101. Bibcode2016JChPh.145b1101C. doi:10.1063/1.4958669. PMID 27421388. 
  8. ^ Fitzgerald, Richard J. (2016). “A simpler ingredient for a complex calculation”. Physics Today 69 (9): 20. Bibcode2016PhT....69i..20F. doi:10.1063/PT.3.3288. 
  9. ^ Jitropas, Ukrit; Hsu, Chung-Hao (2017). “Study of the first-principles correlation functional in the calculation of silicon phonon dispersion curves”. Japanese Journal of Applied Physics 56 (7): 070313. Bibcode2017JaJAP..56g0313J. doi:10.7567/JJAP.56.070313. 
  10. ^ Becke, Axel D. (2014-05-14). “Perspective: Fifty years of density-functional theory in chemical physics”. The Journal of Chemical Physics 140 (18): A301. Bibcode2014JChPh.140rA301B. doi:10.1063/1.4869598. ISSN 0021-9606. PMID 24832308. 
  11. ^ Perdew, John P.; Chevary, J. A.; Vosko, S. H.; Jackson, Koblar A.; Pederson, Mark R.; Singh, D. J.; Fiolhais, Carlos (1992). “Atoms, molecules, solids, and surfaces: Applications of the generalized gradient approximation for exchange and correlation”. Physical Review B 46 (11): 6671–6687. Bibcode1992PhRvB..46.6671P. doi:10.1103/physrevb.46.6671. hdl:10316/2535. PMID 10002368. 
  12. ^ Becke, Axel D. (1988). “Density-functional exchange-energy approximation with correct asymptotic behavior”. Physical Review A 38 (6): 3098–3100. Bibcode1988PhRvA..38.3098B. doi:10.1103/physreva.38.3098. PMID 9900728. 
  13. ^ Langreth, David C.; Mehl, M. J. (1983). “Beyond the local-density approximation in calculations of ground-state electronic properties”. Physical Review B 28 (4): 1809. Bibcode1983PhRvB..28.1809L. doi:10.1103/physrevb.28.1809. 
  14. ^ Tao, Jianmin; Perdew, John P.; Staroverov, Viktor N.; Scuseria, Gustavo E. (2003). “Climbing the Density Functional Ladder: Nonempirical Meta–Generalized Gradient Approximation Designed for Molecules and Solids”. Physical Review Letters 91 (14). doi:10.1103/PhysRevLett.91.146401. PMID 14611541. 

参考文献

  • W. Kohn; L. J. Sham (1965). “Self-Consistent Equations Including Exchange and Correlation Effects”. Physical Review 140 (4A): A1133-1138. doi:10.1103/PhysRev.140.A1133. 
  • Robert G. Parr and Weitao Yang: Density-Functional Theory of Atoms and Molecules, Oxford Science Publications,ISBN 0-19-509276-7(1989).
  • 里子允敏、大西楢平:「密度汎関数法とその応用:分子・クラスターの電子状態」、講談社サイエンティフィク、ISBN 978-4-06153210-6 (1994年7月20日)
  • R.G.Parr、W.Yang:「原子・分子の 密度汎関数法」、シュプリンガー・フェアラーク東京、ISBN 4-431-70722-0 (1996年12月25日).
  • 佐藤文俊、恒川直樹、吉廣保、平野敏行、井原直樹:「タンパク質密度汎関数法」、森北出版、ISNB 978-4-627-24141-1 (2008年5月26日).
  • R. G. Parr; W. Young 著、狩野覚,関元,吉田元二 訳『原子・分子の密度汎関数法』丸善出版、2012年。 ISBN 978-4621062401 
  • 常田貴夫:「密度汎関数法の基礎」、講談社サイエンティフィク、ISBN 978-4-06-153280-9 (2012年4月20日).
  • 佐々木泰造、末原茂:「密度汎関数理論入門」、吉岡書店、ISBN 978-4-8427-0365-7 (2014年11月25日) .
  • 赤井久純、白井光雲:「密度汎関数法の発展:マテリアルデザインへの応用」、シュプリンガー・ジャパン、ISBN 978-4-431-10254-0 (2011年9月19日).
  • 大野かおる:「第一原理計算の基礎と応用:計算物質科学への誘い」、共立出版、ISBN 978-4-320-03547-8 (2022年5月30日).
  • 常田貴夫:「密度汎関数法による量子化学計算」、講談社サイエンティフィク、ISBN 978-4-06-539678-0 (2025年5月27日).

関連項目


密度汎関数理論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 00:30 UTC 版)

スピン汚染」の記事における「密度汎関数理論」の解説

多くの密度汎関数理論 (DFT) プログラムではスピン汚染計算にあたりコーンシャム軌道あたかもハートリーフォック軌道あるかのようにあつかっているが、必ずしもこれは正しとはいえない。

※この「密度汎関数理論」の解説は、「スピン汚染」の解説の一部です。
「密度汎関数理論」を含む「スピン汚染」の記事については、「スピン汚染」の概要を参照ください。

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