宮脇俊三『最長片道切符の旅』(1978年)
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紀行作家の宮脇俊三は、1978年10月から12月にかけ、広尾線広尾駅から指宿枕崎線枕崎駅に至る運賃計算キロ13,267.2キロの旅行を行ない、その過程を『最長片道切符の旅』(新潮社、1979年)に記した。この著作は、鉄道ファン以外の一般の人々にもこの切符の存在を知らしめるきっかけとなった。 この際に宮脇は、当時種村直樹が著した鉄道旅行ガイドブック『鉄道旅行術』(日本交通公社出版事業局 1977年初版)に掲載されていた、光畑茂の計算によるルートを基に旅行することにした。ところが『鉄道旅行術』の刊行後に武蔵野線の新松戸駅・西船橋駅間が開通していたことから、宮脇はルートへの影響の有無を相談に種村直樹を訪ね、そこで種村から、光畑茂による新たなルートの計算結果を見せられたという。 著作内には、発券時のペン書きによる膨大な経由地表記に加え、旅程での途中下車印多数押印で判読が難しいまでの状態となった最長片道切符の実物写真も掲載されている。切符の実物は宮脇の死後に至っても保存されている。これに限らず、最長片道切符は常識からはるかに逸脱した量の経由地・経由路線情報を券面記載する必要があるため、乗車券の窓口におけるコンピューター発券が常識化した1990年代以降でも、券面記載事項の相当部分を手書きして、または経路一覧を別添した形で発券しなければならない。 『最長片道切符の旅』では、宮脇が乗車券作成依頼のため当時の渋谷駅旅行センター(当時日本交通公社委託)窓口を訪れた際、係員は最初愛想よく出迎えたが、見せられた申し込み内容に愕然として猶予を求めたという。続いて窓口裏で係員たちの長時間にわたる口論(?)の末に、係員の一人が大いに不貞腐れながらも「最長片道切符」発券作業を引き受けるまでの(漏れ聞こえてくる会話の)様子が、いささかサスペンスフルに描写されている。
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