宮脇俊三との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 06:40 UTC 版)
「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線」の記事における「宮脇俊三との関わり」の解説
国鉄足尾線時代の1977年5月28日、紀行作家の宮脇俊三がこの路線を最後に国鉄全線完乗を達成した。著書『時刻表2万キロ』にその顛末と乗車記が1章を割いて記述されている。宮脇が最初に足尾線に乗車した際は全線完乗を企図する前であり、間藤の1駅前の足尾までしか乗車しておらず、最後の1駅の区間のみを乗車するために再度足尾線へ乗車することになった。日本全国に散在した未乗車区間を、会社勤めの間を縫って週末や年末年始の休みを利用し地域ごとに潰していった結果、宮脇の居所である東京から近く、かつ近傍に未乗車区間のない足尾線が偶然最後になったものであって、足尾線が最後になったのは必ずしも本意ではなかったと心情を吐露している。2003年に宮脇が亡くなり、同年6月1日に間藤駅で追悼行事が行われた際には、「宮脇先生追悼号」という臨時列車が特製ヘッドマーク付きで運転された。
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