花の御所
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/01 21:43 UTC 版)
花の御所(はなのごしょ)は、現在の京都府京都市上京区にあった足利将軍家の邸宅の通称(北緯35度1分50.2秒 東経135度45分31秒 / 北緯35.030611度 東経135.75861度)。敷地は東側を烏丸通、南側を今出川通、西側を室町通、北側を上立売通に囲まれた東西1町・南北2町を占めた[2]。京都御所(北緯35度1分26.8秒 東経135度45分43.7秒 / 北緯35.024111度 東経135.762139度)がある京都御苑の北西、烏丸今出川交差点を挟んで斜め向かいの一角に位置した[3]。
注釈
- ^ ただし、尊氏の京都における邸宅はしばしば移動しており、暦応年間には常在光院の一郭(現在は廃寺となり、敷地は知恩院の一部となっている)に邸宅を構え、康永年間には鷹司東洞院に邸宅を構えていたとみられている(細川、2010年、P14-16)
- ^ ただし、現在の八幡宮は太平洋戦争中に移転された後のもので、当時は現在の御所八幡町にあった。
- ^ 桃崎有一郎は元は足利家が献上した土地で、永和3年の火災で焼失して建物が存在していなかったとはいえ崇光上皇の御所の敷地に将軍の居宅である花の御所(室町殿)を建てた背景には、持明院統内部における皇位継承争いで後円融天皇を支持する義満が対立する崇光上皇に対して政治的圧力をかける意図があった可能性を指摘する(桃崎有一郎「室町殿・北山殿は"京都"か-室町政権の首府構想論の諸前提-」桃崎有一郎・山田邦和 編著『室町政権の首府構想と京都-室町・北山・東山-』(文理閣、2016年) ISBN 978-4-89259-798-5 PP.96-98)。
出典
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