宗教的移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:09 UTC 版)
「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「宗教的移民」の解説
新世界に移民した集団の中ではローマ・カトリック教徒がまず大きなものとなった。ポルトガルやスペイン(後にはフランス)の植民地に渡るものはカトリック信仰の継続を求められた。一方、イギリスやオランダの植民地の場合は、宗教的に多様化する傾向があった。英国国教会、オランダのカルヴァン主義、イギリスのピューリタン、同じくイギリスのカトリック、スコットランドの長老派教会、フランスのユグノー、ドイツやスウェーデンのルーテル教会派、クエーカー、メノナイト、アーミッシュ、モラビア派およびユダヤ教であった。 開拓者の多くの集団は宗教的迫害のない信仰の権利を求めてアメリカ大陸にやってきた。16世紀の宗教改革は西ヨーロッパのキリスト教による一体感を破壊し、非常に多くの新しい宗派を作ることになったので、政府当局から迫害を受けることがあった。イギリスでは16世紀の終わりまでに国教会の体制に疑問を投げ掛ける人が増えた。その中でも顕著な運動となったのがピューリタン運動であり、聖書には記述されていないこと(聖伝)をも重んじるカトリックの習慣が残っていることについて、国教会の「浄化」を求めた。 イングランド王チャールズ1世は国王の神権を強く信じており、非国教徒を迫害した。抑圧されたピューリタンがおよそ2万人という数字になって1629年から1642年の間にニューイングランドに渡り、幾つかの植民地を築いた。17世紀の後半、新しくペンシルベニア植民地がウィリアム・ペンに与えられたが、これは国王がペンの父親に借金をしていたことの代償であった。1682年頃ペンによって植民地政府が作られ、迫害されたイギリスのクエーカー教徒の逃避場となったが、他の宗派の者も迎えられた。バプテスト、クエーカーおよびドイツやスウェーデンのプロテスタントがペンシルベニア植民地に集まった。 土地が安いこと、信教の自由、さらに自分の手で生活を改善できるという魅力があり、迫害や貧窮から逃れたいという人々を惹き付けた。アメリカでは、これらの人々が共同して平和を保っていく道を作ったのでアメリカ独立戦争までのおよそ150年間は抗争の少ない時代が続いた。
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