完成への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:17 UTC 版)
武内が作詞を行ったきっかけは、昭和8年、ハワイに旅行する叔父・足利瑞義(浄土真宗本願寺派 勝願寺住職)を見送るために横浜港のメリケン波止場(現在の大さん橋)に行き、夕日差す桟橋一帯にたくさんの白いカモメをみたことにある。帰り道、かもめの白い姿を水兵に見立てて詞を完成させた。 武内は、すぐにコンビを組む光陽にどのような詞なのかを電話で連絡した。それを聞いた光陽はその場でピアノを弾き始め、その日のうちに曲を完成させたという。詞から浮かんだ海の青とかもめの白の明瞭な組み合わせを曲で表現するために、音楽の基本的な三和音の「ド・ミ・ソ」を歌いだしに用いて、簡潔な旋律を用いた。このように父が弾いていた曲を自宅で聴いていた順子は、すでに曲を覚えた状態でレコーディングに臨んだと後に証言している。
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完成への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 09:10 UTC 版)
当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。 同年の9月に、「幼児の時間」のコーナーの「歌のおけいこ」12月分で放送するために巽の詞に曲を付けて欲しいと、NHK東京放送局から渡辺のもとに依頼があった。詞を見て「ずっと捜し求めていた詞」だと感じた渡辺は、「かきねのかきねの」「たきびだたきびだ」などの繰り返す言葉を気に入り、詞を口ずさんでいるうちに自然にメロディが浮かび、10分ほどで五線譜に音符を書き込み完成させた。
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