安倍奥・井川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 15:51 UTC 版)
安倍川上流の安倍奥地区(旧梅ヶ島村・大河内村・玉川村。静岡駅から梅ヶ島までは45km)、藁科川上流の旧清沢村・旧大川村、大井川上流の旧井川村は、1969年1月1日に旧静岡市と合併した。 2005年4月1日、静岡市の政令指定都市移行に伴い、安倍奥と井川は、静岡市街地と共に葵区に含まれている。行政機関は、井川は「葵区役所井川支所」という扱いであり、安倍奥に至っては行政機関は設置されていない。安倍奥、奥大井では川に沿った標高の低い所に細く長く集落が点在している程度であり、最も大きい集落である井川本村ですら人口が500人に満たない規模なのでコスト面で行政機関を設置することが難しいのがその理由である。 井川は鉄道では島田・川根本町と通じているが、路線バスや乗用車で静岡市の市街地へ向かうことが多い。市街地に向かう県道は3本あるが、どの県道も山間部を縫うようにして通り狭い上、標高1000m超の富士見峠や大日峠を越える長いワインディング路であるため静岡市街地から井川ダムまで2時間近い所要時間がかかる。近年では長島ダム建設のおかげで大井川鐵道井川線閑蔵駅より大井川下流側の県道が非常によく整備されたため、スーパーマーケットやホームセンター程度の日用品の調達には川根本町、島田市川根町方面へ行くことが若干増えているようである。大井川鐵道井川線は本数も少なく、運賃もバスで静岡市街地に行くより高いので、生活の足としては向いていない。紅葉の時期などハイシーズンは多くの観光客で賑わいを見せるが、閑散期(特に冬)はほとんど乗客がおらず、その名の通り「閑散」としている。 井川・安倍奥地区は、富士川沿いのルートが開かれるまでは、山伏峠などを介しての甲州との交通の要衝であり、駿河侵攻の後、永禄年間末期には梅ヶ島金山は武田氏の直領となったことから、甲州と関係の深い地域であった。
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