学農社農学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 23:08 UTC 版)
学生数の推移西暦(年)0明治学生数(人)備考1875 08 012 1876 09 035 ※ 1877 10 053 1878 11 070 1879 12 145 1880 13 167 1881 14 175 1882 15 080 1883 16 043 1884 17 025 1884 17 0 ※※ 1875年(明治8年)9月1日、麻布東町23番地に学農社農学校を設立、農園は麻布本村町178番地にあり、教員1名、学生12名で授業が始まる。本科の修了年限を3年、予科と別科には年限を設けていない。また学内で日曜学校を開催し、フルベッキ、ジュリアス・ソーパー等を講師に招いた。 1876年(明治9年)7月、農園内に新校舎が落成すると教員7名を置き、学生35名が集った。卒業生は各地の勧業課つまり都道府県の産業育成部門に入り、新しい農業の指導に当たるが、明治14年に政変があるとその影響か、翌年、学生数は半減。帝国議会が開設される明治23年を待たず、農学校は1884年(明治17年)12月に10年目に閉校する。 農業振興を支える『学農社制規』に定めた「物産興隆の道」である収益部門として、農学校を終えた後も学農社は頒布により西洋苗種を普及させ、卒業生はその栽培指導に努めていく。
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