学問修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 08:42 UTC 版)
磐渓の本格的な学問修行は、1816年、16歳のころ昌平坂学問所(昌平黌)で大学頭を務める林述斎の林家に入門したことから始まる。ここで磐渓は高弟の葛西因是から文章を、松崎慊堂から経学を学んだ。葛西は父の玄沢と懇意でもあった。翌1817年、17歳で昌平黌に入寮し、27歳までの11年間、(断続的ではあるが)ここで学び続けることになる。 1818年春、父の弟子・佐々木中沢を伴って、初めて郷里の仙台藩磐井郡 中里村へ帰郷し、一族の大槻平泉や、仙台藩の藩校・養賢堂を訪ねている。また、江戸から大槻家を訪ねていた松崎慊堂とここで初対面を果たした。 22歳の頃、仙台藩校の養賢堂に入る。ここで学頭を務める親族の大槻平泉に抜擢され、指南役見習となった。しかしこの職は普通30-40歳程度の学者が就く職であり、これを行き過ぎとみた父玄沢の意見により、翌1823年、磐渓は江戸の昌平黌に戻った。ところが、翌1824年にはまた養賢堂へ戻っている。また、このころの学友に安井息軒がいる。
※この「学問修行」の解説は、「大槻磐渓」の解説の一部です。
「学問修行」を含む「大槻磐渓」の記事については、「大槻磐渓」の概要を参照ください。
- 学問修行のページへのリンク