学問研究
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1920年に東京帝大助教授となり経済学史を担当する。1922年よりイギリスに留学し、イギリス理想主義、とりわけトーマス・ヒル・グリーンの社会哲学に強い感銘を受ける。1925年8月に帰国し、翌1926年に教授となり、社会政策講座を受け持った。河合の学問の対象はアダム・スミス、ベンサム、J・S・ミル、グリーン、を経てフェビアン協会、イギリス労働党に至るイギリスの社会思想史であり、それに基づいて社会政策学を構築した。その成果は『社会思想史研究』(1923年)、『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』(1930年)、マルクス経済学も取り入れた『社会政策原理』(1931年)であった。 また、河合門下三羽烏と呼ばれる大河内一男・安井琢磨・木村健康らを育てた。河合は、以前より存在した東大経済学部の勢力争いの中、多数派の領袖格として行動し、少数派のマルクス主義派と対峙していた。1936年3月31日から1年間、経済学部長。妻、国子は初代経済学部長であった金井延の娘である。
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