妹尾戸川家
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安成 (やすなり、戸川正安の次男。寛文9年(1669年)本家より分知。宝永5年(1708年)12月3日没) |正方 (まさかた、戸川逵冨の三男。享保 3年(1728年)の徳川吉宗による日光社参の警護役を担当。寛保元年(1741年)11月10日没) |逵和 (みちとも、旗本の御使番・八木主馬の次男。寛保3年(1743年)布衣(従六位の武家)。明和3年(1766年)従五位山城守。 日光奉行・小普請組支配・田安徳川家家老を歴任。寛政9年(1797年)12月30日没) ┃逵旨 (みちよし、逵和の長男。小姓組所属の寛政7年(1795年)に小金原御鹿狩で徳川家斉の供回りをする。寛政10年(1798年)布衣。火付盗賊改・駿河町奉行を歴任。文化5年(1808年)10月24日没) ┃ 逵証 (みちあつ、逵旨の長男。書院番・御使番を歴任。文政元年(1818年)布衣の後に駿河目付 嘉永3年(1850年)11月24日没) ┃ 逵本 (みちもと、逵証の長男。 明治16年(1883年)3月11日没) ┃逵穀 (みちよし、逵本の長男。文久3年(1863年)に歩兵指南役と将軍警護役を兼務。慶應4年(1868年)弟の逵利に家督を譲る。明治5年(1872年)12月13日没) | 逵利 (みちとし、逵穀の弟。明治9年(1896年)12月25日没) 参考:寛政重修諸家譜、盛隆寺(じょうりゅうじ)妹尾戸川氏墓所碑文、「備中領主 戸川の時代」戸川時代研究会( 柴田一)
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