如己堂
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如己堂(にょこどう)は、長崎県長崎市にある、永井隆が白血病の療養をしていた建物である。長崎の被爆から約3年後の1948年(昭和23年)3月、長崎市浦上の人達やカトリック教会の協力により建てられていた。この二畳一間の部屋で、永井隆の著名な作品の数々が生まれた。
注釈
- ^ ラゲ訳新約聖書(1910年版)「汝の近き者を己の如く愛すべし」とある。1898年、施約瑟の訳の淺文理新約聖經天主版の馬可福音には「愛人如己」とある。ブリッジマン・カルバートソン版の漢訳聖書に訓点を施した訓点聖書では、「当愛鄰如己」とあり「当に鄰を愛する、己の如くすべし」と訓んでいる。
出典
- ^ 長崎市. “如己堂”. 長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “第4章 如己堂 | 長崎市永井隆記念館”. nagaitakashi.nagasakipeace.jp. 長崎市永井隆記念館. 2022年2月15日閲覧。
如己堂
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「永井隆 (医学博士)」の記事における「如己堂」の解説
1948年(昭和23年)には荒野となった浦上の地に花を咲かせようと、桜の苗木1000本を浦上天主堂をはじめとする各所に寄贈。これらの桜は「永井千本桜」と呼ばれた。3月、浦上の人たちやカトリック教会の協力により、永井が療養を行うための庵が完前を「如己堂映日本ニュース」の取材に、「ろうそくがもう切れかけてるようなもんですけれどね、最後までやっぱり光になって、ばーっと光ることができると思います。」と語る。 10月18日、来日中のヘレン・ケラーが見舞いに訪れる。予告なしの不意な訪問であった。1949年(昭和24年)5月27日、昭和天皇に拝謁。5月30日、浦上公民館で日本に運ばれていたフランシスコ・ザビエルの聖腕に接吻し、ローマ教皇特使としてギルロイ枢機卿の見舞を受けた。当初は聖腕と特使が如己堂に来ることになっていたが、永井はそれを辞退して公民館まで出向いた。 8月1日 、長崎市長から表彰を受ける。9月30日 長崎医科大学教授を退官。12月3日、長崎市名誉市民の称号を受ける。 1950年(昭和25年)5月14日、ローマ教皇特使として大司教のフルステンベルクが見舞いに訪れ、ロザリオを下賜される。11月29日、永井がルハンの聖母像を欲しがっているのを知ったアルゼンチン大統領夫人エヴァ・ペロンにより、長崎市に送られたルハンの聖母像が長崎に到着。聖母像は大小2体で、大きいものはペロン夫人から長崎市、小さいものはブラジル在留日本人から永井個人に贈られた。
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