如己堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 06:00 UTC 版)
現在は、隣接地に長崎市永井隆記念館が建てられている。
名前の由来
浦上の人々が原爆で財産を失ったにもかかわらず、永井隆のために建てた建物であり、それに感銘を受けた永井が「己の如く隣人を愛せよ」という意味を込めて「如己堂」と名付けた[1]。
新約聖書マルコによる福音書12章31節にある「己の如く人を愛せよ」という言葉から名付けられた[2][注釈 1]。
歴史
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如己堂が建てられた場所は、帳方屋敷の跡地でもある。帳方とは、潜伏キリシタンの信仰組織における組頭である(惣頭ともいう)。浦上村の初代帳方は孫右衛門で、その後の帳方も孫右衛門の子孫から選ばれており、この地にあった帳方屋敷に住んでいた。1856年に起きた浦上三番崩れにより、初代孫右衛門から続いた帳方は7代目の吉蔵で途絶えることになったが、この吉蔵は永井隆の夫人・みどりの曾祖父にあたる。
その他
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- 如己堂の赤瓦は、永井隆の出身地である島根県飯石郡三刀屋町(現雲南市)にある実家から運ばれたものである。
- 2008年、永井隆の生誕100周年を記念して、出身地の雲南市にある永井隆博士記念館の敷地内に、如己堂が再現された。
注釈
- ^ ラゲ訳新約聖書(1910年版)「汝の近き者を己の如く愛すべし」とある。1898年、施約瑟の訳の淺文理新約聖經天主版の馬可福音には「愛人如己」とある。ブリッジマン・カルバートソン版の漢訳聖書に訓点を施した訓点聖書では、「当愛鄰如己」とあり「当に鄰を愛する、己の如くすべし」と訓んでいる。
出典
- ^ 長崎市. “如己堂”. 長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “第4章 如己堂 | 長崎市永井隆記念館”. nagaitakashi.nagasakipeace.jp. 長崎市永井隆記念館. 2022年2月15日閲覧。
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