如己堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 07:24 UTC 版)

如己堂(にょこどう)は、長崎県長崎市にある、永井隆が白血病の療養をしながら執筆活動に励んだ建物である。長崎の被爆から約3年後の1948年(昭和23年)3月、長崎市浦上の人達やカトリック教会の協力により建てられていた。この二畳一間の部屋で、永井隆の著名な作品の数々が生まれた。
現在は、隣接地に長崎市永井隆記念館が建てられている。
名前の由来
浦上の人々が原爆で財産を失ったにもかかわらず、永井隆のために建てた建物であり、それに感銘を受けた永井が「己の如く隣人を愛せよ」という意味を込めて「如己堂」と名付けた[1]。
新約聖書マルコによる福音書12章31節にある「己の如く人を愛せよ」という言葉から名付けられた[2][注釈 1]。
歴史
![]() |
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2022年2月)
|
如己堂が建てられた場所は、帳方屋敷の跡地でもある。帳方とは、潜伏キリシタンの信仰組織における組頭である(惣頭ともいう)。浦上村の初代帳方は孫右衛門で、その後の帳方も孫右衛門の子孫から選ばれており、この地にあった帳方屋敷に住んでいた。1856年に起きた浦上三番崩れにより、初代孫右衛門から続いた帳方は7代目の吉蔵で途絶えることになったが、この吉蔵は永井隆の夫人・みどりの曾祖父にあたる。
その他
![]() |
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2022年2月)
|
- 如己堂の赤瓦は、永井隆の出身地である島根県飯石郡三刀屋町(現雲南市)にある実家から運ばれたものである。
- 2008年、永井隆の生誕100周年を記念して、出身地の雲南市にある永井隆博士記念館の敷地内に、如己堂が再現された。
所在地
〒852-8112 長崎県長崎市上野町22-6
参考文献
![]() |
この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。
|
- 『長崎遊学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(長崎文献社、2005年) ISBN 4888510911
- 『旅する長崎学4』(長崎文献社、2006年) ISBN 9784888511131
脚注
注釈
- ^ ラゲ訳新約聖書(1910年版)「汝の近き者を己の如く愛すべし」とある。1898年、施約瑟の訳の淺文理新約聖經天主版の馬可福音には「愛人如己」とある。ブリッジマン・カルバートソン版の漢訳聖書に訓点を施した訓点聖書では、「当愛鄰如己」とあり「当に鄰を愛する、己の如くすべし」と訓んでいる。
出典
- ^ 長崎市. “如己堂”. 長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」. 2022年2月15日閲覧。
- ^ “第4章 如己堂 | 長崎市永井隆記念館”. nagaitakashi.nagasakipeace.jp. 長崎市永井隆記念館. 2022年2月15日閲覧。
外部リンク
- 己の如く人を愛したひと ~永井 隆~ - ウェイバックマシン(2019年1月25日アーカイブ分) - 永井隆ストーリー< 長崎市|平和・原爆|長崎原爆資料館|関連施設|永井隆記念館
- 第4章 如己堂 | 長崎市永井隆記念館
如己堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:31 UTC 版)
「永井隆 (医学博士)」の記事における「如己堂」の解説
1948年(昭和23年)には荒野となった浦上の地に花を咲かせようと、桜の苗木1000本を浦上天主堂をはじめとする各所に寄贈。これらの桜は「永井千本桜」と呼ばれた。3月、浦上の人たちやカトリック教会の協力により、永井が療養を行うための庵が完前を「如己堂映日本ニュース」の取材に、「ろうそくがもう切れかけてるようなもんですけれどね、最後までやっぱり光になって、ばーっと光ることができると思います。」と語る。 10月18日、来日中のヘレン・ケラーが見舞いに訪れる。予告なしの不意な訪問であった。1949年(昭和24年)5月27日、昭和天皇に拝謁。5月30日、浦上公民館で日本に運ばれていたフランシスコ・ザビエルの聖腕に接吻し、ローマ教皇特使としてギルロイ枢機卿の見舞を受けた。当初は聖腕と特使が如己堂に来ることになっていたが、永井はそれを辞退して公民館まで出向いた。 8月1日 、長崎市長から表彰を受ける。9月30日 長崎医科大学教授を退官。12月3日、長崎市名誉市民の称号を受ける。 1950年(昭和25年)5月14日、ローマ教皇特使として大司教のフルステンベルクが見舞いに訪れ、ロザリオを下賜される。11月29日、永井がルハンの聖母像を欲しがっているのを知ったアルゼンチン大統領夫人エヴァ・ペロンにより、長崎市に送られたルハンの聖母像が長崎に到着。聖母像は大小2体で、大きいものはペロン夫人から長崎市、小さいものはブラジル在留日本人から永井個人に贈られた。
※この「如己堂」の解説は、「永井隆 (医学博士)」の解説の一部です。
「如己堂」を含む「永井隆 (医学博士)」の記事については、「永井隆 (医学博士)」の概要を参照ください。
- 如己堂のページへのリンク