女性・家族政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:04 UTC 版)
東ドイツにおける女性と家族政策に関する法律は、1950年に決議された「母子保護および女性の権利に関する法律(ドイツ語版)」である。仕事と家族の両立は、東ドイツの女性にとっては、あたりまえのことと考えられており、重点的に助成されていた。1989年までに約92%の女性が職業に就いており、西ドイツの女性よりも就職率は明らかに高かった。女性の社会進出を推し進めたのは、男女同権という社会主義の考えを反映してものであったが、他方では国民が西側に大量に流出した事で労働力不足に陥ったものを補うためという側面もあった。もっとも、管理職の地位についている女性の数は、明らかに男性よりも少なかった。 女性の職業参加を促進するために、例えば託児所・保育園の大規模な拡充が行われたり、家族をもつ学生に対する特別な教育や就学プランが作られたりした。家族政策(ドイツ語版)という枠組みで、国家は、まず第一に子供のいる夫婦に対して、特殊なローンや優先的な住居の割り当てなどを行うことで、促進した。中絶問題に関しては、女性には1972年に導入された中絶法によって、最初の12週間以内での中絶が許可されるようになった。しかしそれにも関わらず、1973年から1980年のあいだに出生数は、3分の1ほど増加した。 就業による男女同権化は、日常では多くの場合、仕事と家事・家族という二つの重荷を背負わされることになった。従来通りの男性の仕事が、たんに伝統的な女性の役割に追加されただけだからである。1970年に行われた世論調査によると、平均的な週の家事時間である47時間のうち、女性が引き受けたのはそのうち37時間であり、男性は6時間、「その他」が4時間であった。
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